司馬遼太郎『竜馬がゆく』が教えてくれた
若い頃を振り返れば、ずいぶん無鉄砲に突っ走ってきたと思います。映画からテレビ、そして舞台にも出なくてはいけないという、どんどん変化がありましたからね。
それに一つのものを身につけるには、最低十年間はかかります。映画もテレビも舞台も、全部が初めての挑戦でしたから、十代から二十代、三十代はあっという間でした。僕がようやく本格的に時代劇にも、映画にも、舞台にも立てるようになったのは、四十代になってからだと思っています。だから今も落ち着いて仕事をしているような状況ではないし、まだまだ発展途上です。
この作品だって初めての役ですから、僕にとっての挑戦です。いいものを沢山吸収して、清左衛門から教わって、それを次には還元していかなければいけない。自分で言うのはおかしいですが、役者冥利に尽きるというか、本当にいい仕事をさせていただいていると実感しています。
最近ではコミカルな役柄や現代ものでの憎まれ役など、思いがけない一面を次々に披露している。しかし、時代劇においても父・右太衛門の当たり役だった『旗本退屈男』、大川橋蔵のロングラン作品『銭形平次』など、先人の役を新たに引き継ぐこともまた、予期せぬオファーだった。大きな期待に応えるべく、たゆまぬ挑戦がずっと続いてきたのだ。中でもとりわけ思い入れ深いのが、大河ドラマ『竜馬がゆく』との出会いである。
司馬遼太郎先生の原作を読ませていただいた時、何かものすごい光が目の前に現れ、頭をガーンと殴られたような気がしました。二十四歳、二十五歳のあの頃、僕は映像から舞台に移って散々しごかれている激動の時期で、ある意味では非常にぐらついていましたから、最初のオファーの時は「僕で大丈夫だろうか」と不安がなかったわけではありません。でも、これは絶対に挑戦しなくてはならない、と。とにかく竜馬に憧れて憧れて、憧れてついていった仕事です。
一度、司馬先生ともお目にかかる機会がありました。色々なことをお話しされるんですが、司馬先生が話し始めると、まるでその当人が目の前で話しているように見える。「でね、西郷さんはこう言うんだよ」「その時ね、竜馬君はこう言ったんだよ」とおっしゃる司馬さんが、西郷さんであり、竜馬さんであるかのようでした。はるか遠くの距離にいた竜馬さんが目の前に現れたことで、自分の中の可能性が広がったように思います。
そもそも生まれた家柄が良かったわけではなく、か弱かった少年が、乙女姉さんによって変わり、時代によって変わっていく。『竜馬がゆく』はそういう発見のドラマで、テレビの世界も何もかも変わっていく時代の精神状態が、ぴたりと一致したのかもしれません。僕だけではなく、他の俳優さんたちもみな、必死になって戦っていました。毎晩のように飲んで、お互いを励まし合い、支え合い、勇気づけ合って、まるで維新の時代の若者そのもののようでした。
あの時の一年間は、厳しくてきつかったけれど、ものすごく楽しかった。勉強になったというか、成長させてもらったというか、竜馬からは多くのことを教わりました。やはり、その時の出会いが全ての鍵を握っていますよね。
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