- 2016.03.21
- 書評
桜庭一樹による奇譚短編の庭園へようこそ――
文:杉江 松恋 (書評家)
『このたびはとんだことで 桜庭一樹奇譚集』 (桜庭一樹 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
思えばライトノベルから一般小説のほうに舵を切りかけた時期の桜庭は、長篇であることを作品自体が要求するような書き手であった。『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(二〇〇四年、富士見ミステリー文庫→現・角川文庫)や『少女には向かない職業』(二〇〇五年、東京創元社→現・創元推理文庫)は、状況を読者にぶつけてその中で起きていることを次第に理解させていくという形式。教養小説の『荒野(こうや)』(『荒野の恋』として二〇〇五~二〇〇六年、ファミ通文庫→現行通り改題の上、現・文春文庫)はその逆で、主人公・山野内荒野のモノローグが先行し、それが進行するにつれて読者の共感を集めていくという形の小説だった。いずれの場合も作中時間の経過が必要な形で物語が行われている。
おそらく桜庭が、物語を短篇すなわち作中時間を切り取った「かけら」として見せることの可能性を見出したのは、『少女七竈(ななかまど)と七人の可愛そうな大人』(二〇〇六年、角川書店→現・角川文庫)、『赤朽葉家の伝説』(同、東京創元社→現・創元推理文庫)、『青年のための読書クラブ』(二〇〇七年、新潮社→現・新潮文庫)などを執筆していた二〇〇五年~二〇〇七年にかけてのことなのではないか。「かけら」にも物語の入口は開いていたのだ。
『少女七竈と七人の可愛そうな大人』の主人公は母親から捨てられた少女・川村七竈だが、彼女が全体を通じての語り手となるわけではなく、章ごとに話者が移り変わっていく。第二話「犬です」の視点人物は、なんと老シェパードのビショップだ。この作品を通じて、短いエピソードとして作中時間を切り取る術を桜庭は会得した可能性がある。本書の表題作である「このたびはとんだことで」(元版の収録順は1。カッコ内の算用数字は以下同)は収録作では二番目に古く「群像」二〇〇六年五月号に発表された作品だ。骨壺の中の骨となった主人公が遺されたものの諍いを眺めるという構成になっており、「犬です」の技法が転用されている。視点の使い方は同じなのだが、最後に時間経過が早送りにされる展開があり、淡々としたスケッチではなくなるところが短篇としての妙味である。
「青年のための推理クラブ」(2。初出:「小説新潮」二〇〇六年四月号)の題名から『青年のための読書クラブ』を連想する読者は多いだろう。それもそのはずで、本来は連作の冒頭を飾るはずだった作品である。二話目以降で方向転換があったため、流れの中で浮いてしまったのだ。学園の生徒たちが目撃した出来事の謎を探るというミステリー仕立ての話ゆえ内容を詳述することは避けるが、ここでも視点人物の問題が重要になっている。『青年のための読書クラブ』は長い歴史のところどころを独立したエピソードとして切り取ってみせる形で長い物語が成立する小説だ。三代に及ぶ女系家族の年代記である『赤朽葉家の伝説』とともに、個々の登場人物たちが背景に退いたり、語り手として前面に出てきたり、といった舞台上の移動をしながら流れていく時間の中に居続けるというやり方が用いられた作品である。断片的な情報から一人の人間の実像が立ち上がってくる『傷痕』(二〇一二年、講談社)などの長篇とも源流を一にするように思う。