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桜庭一樹による奇譚短編の庭園へようこそ――

桜庭一樹による奇譚短編の庭園へようこそ――

文:杉江 松恋 (書評家)

『このたびはとんだことで 桜庭一樹奇譚集』 (桜庭一樹 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 同作以降の桜庭は、目の前で展開している出来事の背景に実は長い長い時間の流れがある、という構造を好んで採用している。「五月雨」(4。初出:「オール讀物」二〇〇七年七月号)はまさしくそうした作品で、東京・御茶ノ水の山の上ホテルを舞台としたスケッチ、と見せておいて突如読者の前で物語が始まる。この短篇を発表した翌々年に桜庭は、曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』を下敷きにした時代伝奇小説『伏(ふせ) 贋作・里見八犬伝』(二〇一〇年、文藝春秋→現・文春文庫)の週刊誌連載を開始する。本篇は尺こそ短いが、大伝奇ロマンの一場面だけを切り取って見せられたような気分にさせてくれる作品だ。

 文庫では巻頭に配されることになった「モコ&猫」(3。初出:「小説すばる」二〇〇七年一月号)は一風変わった恋愛小説である。いや、これを恋愛小説と受け止めない読者もいるのかもしれない。なにしろ語り手である〈ぼく〉は、大学で出会い、ほぼ一目惚れに近い形で愛することになった女性〈モコ〉に対して一指も触れることなく、ただ傍で見守りたいと願うだけなのだから。桜庭は、彼の行動の意味を読者の前で解釈することなく、ただ観察者として彼を描く。一歩間違えばストーカーだが、ぴったりと触れ合わず、わずかな接点のみでくっついているような関係だからこそ醸し出される感情もあるのである。

 単行本では、そうした少し変わったパートナーシップを描いた作品が後半に連続して置かれていた。その一つ、「冬の牡丹」(5。初出:「オール讀物」二〇〇八年三月号)は、「お父さんのお気に入り」の長女だったはずなのに、今は実家を出て誰からも顧みられない日々を送っている山田牡丹の物語だ。前出の『私の男』での直木賞受賞後第一作として雑誌掲載されたが、執筆時期は受賞決定よりも前である。「座れば牡丹」の花の名前をもらったにもかかわらずの残念美女と、ディレッタントのような隣人の男との取り合わせがおもしろいのだが「モコ&猫」と同様に「世間」「普通」に背を向けるようにして自分なりの幸福のありようを追い求める者を描いた小説である。

 もう一作「赤い犬花」(6。初出:「オール讀物」二〇一三年一月号)は、母親の事情で縁もゆかりもない田舎に預けられることになった少年・太一を主人公とする、夏休み小説だ。太一は同年代で美貌の持ち主・ユキノに誘われて冒険行をすることになる。タイトルに使われている「赤い犬花」とはユキノによれば伝説の怪物のことで、この設定や、少年が語り手を務めるという桜庭作品では珍しい形式は、直後に発表された「Bamboo ~バンブー」(「ちいさな焦げた顔」と改題し『ほんとうの花を見せにきた』に収録)にも影響を与えている。夏休み小説という表現を使ったが、決して明るいだけの物語ではなく、作中には死の事実に向き合う瞬間もある。これは桜庭作品の特徴でもあり、読者の中には『無花果とムーン』(二〇一二年、角川書店→現・角川文庫)などの諸作を連想する方もいるはずだ。

「赤い犬花」の最後、冒険の舞台となった山の村を離れ、太一は自身の家がある都会へと帰還していく。それはまるで、物語を読み終えて現実へと戻ってくる自分自身のようだ。

 そうか、ここが出口だったのか。

文春文庫
このたびはとんだことで
桜庭一樹奇譚集
桜庭一樹

定価:704円(税込)発売日:2016年03月10日

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