かくして私もめでたく、前述の東京マダムと同じように、京都熱をわずらってしまったわけである。
しかし、東京人の京都好きは、いまに始まったことではない。都が江戸に遷(うつ)るまで、長い間上方が日本経済を支えてきた。江戸時代に入った後も、上方から江戸には、職人の技を生かした、質の高い食べ物や日用品などが運ばれていたという。
当時、上方から江戸へ持ち帰ったみやげのことを「下りもの」と言い、人々にたいそうもてはやされたそうだ(都が京都にあったため、いまとは逆の発想なのだ)。
それとは反対に、江戸から上方へ持ち帰ったみやげは、もらっても仕方ないほど値打ちのないものと評された。このことが、「下らない」の語源になったという説がある。上方のみやげは上物とされ、江戸の人もそれを認めていたことが窺える。
『おいしおす 京都みやげ帖』のお茶の章でも記しているように、江戸時代に将軍家は、わざわざ京都の宇治から御茶壺道中という行列を作って、宇治茶を定期的に取り寄せていた。この頃すでに京都からの「お取り寄せ」がはじまっていたのだ。
また、本書の寿司の章に登場する、老舗「いづう」の鯖寿司。この寿司は、そもそも祇園の御茶屋遊びの常連だった、関東の旦那衆が世に広めたみやげものである。
祇園の御茶屋遊びは、いまも昔も男のステイタス。これを自慢するのに「いづう」の鯖寿司が格好の手みやげになったという。名店「いづう」の名は、地元京都からではなく、関東から全国に広まっていったのだ。
こんな風に、いまでも京都には、東京に贔屓(ひいき)客を持つ店が実に多い。実際、取材に行く先々で、東京からの客やお取り寄せの注文が多いことを耳にした。老舗で格があっても、贔屓の客なくしては、店ののれんは守れない。ほかの町に比べると、少々ヒートアップ気味の東京の京都熱が、老舗の存続に一役買っているとしたら、それはそれで、喜ばしいことである。京都の老舗は、日本の宝でもあるわけだから。
『おいしおす 京都みやげ帖』は104店舗の京都の味みやげを紹介した本だ。京都を訪れた時、もしくは自宅で京都の味を取り寄せる時に、本書を活用して頂けると嬉しい。もちろん、東京以外の方にも、この本をガイド役にしながら、京都の味に親しんで頂けたらと思う。
今回の京都取材では、名だたる店のご主人の話を伺い、普段は決して見ることのできない老舗の舞台裏まで垣間見ることができた。これは著者冥利につきる貴重な経験であった。そして京都で、または文藝春秋の撮影スタジオで、ありとあらゆる京都の味を口にすることで、ますます私の京都熱は勢いを増したようだ。京都みやげ狂の旅は、まだまだ続く!
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