本書は『「聞く力」文庫』の最終版となります。第一弾の「厳選対談編」、第二弾の「選りすぐりエッセイ編」(自分で言うのも気が引けますが)に続き、「対談追悼編」として、一九九三年春から現在にいたる週刊文春「阿川佐和子のこの人に会いたい」にご登場いただいたゲストの中から、惜しくもお亡くなりになられた方々二十六人の貴重な会話を、再録させていただいた次第です。
お会いしたときは、もちろんお元気で、「この人、もうすぐ死にそうだ」などと思ったことは一度もありません。ご自身とて、「まもなく死ぬぞ」などと覚悟して私の質問に答えていらしたわけではないでしょう。なにしろどの方も、当時はバリバリの現役で、目下の仕事や生活や辿ってきた道のりや幼い頃の思い出にさまざま思いを馳せ、存分に語っていただいたのです。あのいきいきとした語り口、仕草や笑顔や渋い表情が、こうして読み返してみるにつけ、一人ひとり、思い起こされます。
勝新太郎さんは、世にも奔放かつ迫力に満ちた脱線ぶりを展開してくださり、文章ではあまりわからないかもしれませんが、実際のところ質問者は終始タジタジおろおろ状態でした。なにしろ対談前に楽屋にご挨拶に伺った折、前触れもなく浴衣を脱いだと思ったら、白いブリーフ一丁姿の逞しきことかな……については一筆御礼に記した通りですが、それも貴重な思い出です。対談時、少し声がガラガラして「どうも風邪がなかなか治らねえんだ」とおっしゃっておられました。もしかしてあのときすでにご自身の病を自覚していらしたのかと、今となっては問い直すこともままならず。ちょうどその一年後、下咽頭癌で亡くなられたとの報に接し、驚愕したのを覚えています。
お会いしたとき、小倉遊亀さんは九十九歳、加藤シヅエさんが百歳、そして山田五十鈴さんが八十歳で、森光子さんが七十七歳。どういう形容詞を使っても言い表せないほどに皆様シャキッとして言語明瞭、お肌ツルツル、加えて得も言われぬ女らしさに満ちていて、仕草や反応がなんとも愛らしかった。女らしさといえば、川島なお美さんの回では、どれほど妖艶でセクシーかと想像しつつお会いしたのですけれど、これがまったく予想外。ときに目の前の机を手のひらでパンと叩いたりピリッと目を見張ったり、その敢然たる男らしさに私は胸がスカッとしたことを思い出します。仲良しご主人様と末永くワイングラスを傾けて幸せな老後を迎えられるのだろうと思っていたのに。
パク・ヨンハさんの訃報はショックでした。当時の私は韓流ブームに乗り切れず、正直なところ、パクさんにお会いすることにさほど積極的な関心がありませんでした。ところが会ってみれば、なんと素直で気遣いのある好青年でしょう。通訳さんを介しての対談にもかかわらず、訳される前から互いに言いたいことを察知できる瞬間がたびたびありました。外国人のゲストと言葉を越えてこんなふうに心が通じ合うほど嬉しいことはありません。彼がどれほど日本のファンに感謝しているかは、対談中も、その数日後のコンサートのときにもひしひしと伝わってきて、まるで愛しい弟ができたような気持で「ずっと活躍してくれよぉ」と遠くから応援していたのに、不幸な結果になってしまい、悲しいです。
本書にご登場いただいたゲストの思い出を一人ずつ語っているときりがなく、本編より長くなってしまう恐れがあるので、ここらで留めることにいたしましょう。ただ、人は必ず死ぬと知っていても、生きている間はその実感がありません。今さらとは思うものの、こんなことならもう少し大事なことを伺うべきだったのではなかったかと、悔やむ気持が残ります。でも悔やんだところで、あの方々は戻ってきてくれない。だからこそ、残してくださった数々の言葉を反芻し、宝物として大切に心に秘めて生きていきたいと思います。どうせ私もいつかはアチラヘ行く身です。そのときに、伺いそびれたお話の続きをしようと楽しみにしております。どうか読者の皆様も、明治・大正・昭和から平成を生き抜いて、輝いて、そして逝ってしまった二十六人のヒーロー、ヒロインを、本書を通して久しぶりに思い出してくださいませ。きっとこの会話の隙間から、さらに思い起こされる懐かしき光景が浮かび上がってくるにちがいありません。
なんかちょっと、しみじみしちゃいましたね。
ちなみに『「聞く力」文庫』はこれにてとりあえずおしまい。寂しいって? あら、そお? ならばそのお気持、もっと大きな声でおっしゃってくださいませ。また化けてでも、出てまいりますゆえ。
(「あとがきにかえて」より)
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