本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
昭和から平成へ――クロニクルとしての警察小説

昭和から平成へ――クロニクルとしての警察小説

文:杉江 松恋 (書評家)

『代官山コールドケース』 (佐々木譲 著)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 捜査方針に誤りがあったことが明るみに出れば、警視庁の威信は地に墜(お)ちる。水戸部はそれを未然に防ぐために起用されたのだ。当然、神奈川県警との連係はありえない。また無用の軋轢(あつれき)を防ぐため、渋谷署員に接触することも許されない。公式には誰にも助力を求められない状態で、誰よりも速く真相に達しなければならないのである。組織から離れた遊軍の立場を取り、水戸部は捜査を開始する。

 少し回り道になるが佐々木の過去作について触れておきたい。作者には膨大な警察小説の著書があり、その出発点は少年犯罪を扱った二〇〇三年の『ユニット』(文藝春秋→現・文春文庫)である。以降の作品にはシリーズ化されたものも多い。もっとも作品数が多いのが二〇〇四年の『うたう警官』(角川春樹事務所→現・ハルキ文庫。文庫化に際し『笑う警官』に改題)に始まる通称〈道警〉シリーズだ。第一作の『うたう警官』は、主人公である佐伯宏一刑事が、ある理由から自身の所属組織であるはずの北海道警察と対立せざるをえなくなり、孤独な闘争を強いられるという緊張感溢れる内容だった。

 警察官が個人として組織と対立するという構造の原点にはスウェーデン作家マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーの〈マルティン・ベック〉シリーズがある(第一作の改題『笑う警官』は、同シリーズの第四長篇の題名を借りたものである)。このシリーズは、スウェーデンの首都ストックホルムの警察官マルティン・ベックを主人公とし、彼の眼から見た祖国の十年間の移り変わりを長篇十作で描くという壮大な構想のものだった。背景には社会主義的理念によって福祉国家制度を樹立したスウェーデンが、経済・国際的諸因からそれを維持できなくなり、ついには国策転換を余儀なくされたという一九六〇年代後半から七〇年代にかけての国家情勢がある。その中でベックの所属する警察組織も大きく揺れ動き、同僚たちの中には絶望のために職を辞する者も現われるのだ。

 警察組織を正義の機関として盲信するのではなく、権謀術数が複雑に絡みあった伏魔殿として描くという手法は、日本の警察小説の中にも存在し、一つの作品群を形成している。たとえば逢坂剛は、第一長篇『裏切りの日日』(一九八一年。講談社→現・集英社文庫)に始まる〈公安警察〉シリーズで、法の番人である警察官が時の権力者と結びついたときの恐怖をくり返し描いている。警察官を組織人という観点で捉えなおして警察小説に新風を吹き込んだ横山秀夫〈D県警〉シリーズ(一九九八年。『陰の季節』他。文藝春秋→現・文春文庫)なども同じ系譜に属するものといえるだろう。

【次ページ】

文春文庫
代官山コールドケース
佐々木譲

定価:803円(税込)発売日:2015年12月04日

ページの先頭へ戻る