- 2015.11.25
- 書評
全悪人怪人大百科 リンカーン・ライム編
文:杉江 松恋 (書評家)
『バーニング・ワイヤー』 (ジェフリー・ディーヴァー 著/池田真紀子 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
四肢麻痺の名探偵とその手足となって働く勇敢な捜査官という組み合わせは、今やミステリーファンならば知らない者がいないほどに有名となった。ジェフリー・ディーヴァーの創造した元ニューヨーク市警の科学捜査官リンカーン・ライムと、元ファッション・モデルという美貌と射撃の腕を兼ね備えたアメリア・サックスのコンビだ。二〇一五年にはシリーズ第十一作にあたる最新刊『スキン・コレクター』が我が国でも刊行され、衰えぬ人気の程を示した。スピンオフ作品のキャサリン・ダンス・シリーズも本国では第四作までが発表されている(日本では第三作の『シャドウ・ストーカー』まで)。
『バーニング・ワイヤー』は、そのシリーズ第九作に当たる長篇作品だ。邦訳単行本は二〇一二年十月十五日に刊行された。今回はその文庫本化である。
このシリーズにはさまざまな長所が備わっているが、連続ものとして軸がしっかりしているのが要素としては大きい。アメリア・サックスだけではなくニューヨーク市警のロン・セリットーや変装の名人であるFBI捜査官のフレッド・デルレイ、ライムの介護士兼助手を務めるトム・レストンなどの個性的な面々が気難しい探偵を補佐しながら行動し、困難な事件を解決に導いていくというチーム捜査小説の構造は、巻を重ねれば重ねるほど魅力が倍増するのだ。その中でも、いつまでも尻の青さが抜けずにライムに「ルーキー」呼ばわりされているロナルド・プラスキーが本書では思わぬ活躍をする。
もちろん、その中でも最重要人物は主人公であるライムとサックスだ。二人は公私を超えたパートナーであり、切っても切れない愛情で結ばれている(今回読み返してみて、ライムがトム・クルーズ似の風貌だという箇所を見つけてしまった。美女と美男のカップルか。それはちょっとずるいよ)。第一作から二人の間には恋愛感情が芽生えているのだが、その道筋は平坦なものではなかった。関係がもっとも危なくなったのは第三作の『エンプティー・チェア』だが、第二作の『コフィン・ダンサー』でサックスがライムと急接近した女性に嫉妬するなど、揺れ動いた時期もある。第四作『石の猿』で逆にサックスの側に魅力的な男性が現われ、周囲の人間をやきもきさせたことをご記憶の方も多いだろう。ディーヴァーはサックスをライムの添え物にしないように努力しており(ライムが彼女をファミリーネームのサックスで呼ぶのは、その意図の表れではないかと思う)、いかに対等な関係を保ちながら二人が成長していくか、ということが人間ドラマの主眼になっているのだ。
それに加えてライムが後天的な四肢麻痺というハンデを抱えていることの問題がある。初めは右手の人差し指しか動かせなかったライムも、リハビリなどの成果が少しずつ上がり、最近はだいぶ体の自由を取り戻してきている。体を動かすことができないことからしばしば凶悪犯たちに命を狙われることもあるが、真の敵は「動けない自分」といかに向き合い、現状を乗り越えていくか、という克己の課題なのである。その点を意識した上で、ディーヴァーはしばしば人の悪い驚きを読者に提供する。『バーニング・ワイヤー』にもそうしたくだりがあるので、心して読んでみていただきたい。ちなみにサックスにも持病の関節痛という問題があり、これまた彼女の人生に大きな影響を及ぼしている。
ミステリーとしての特長については、過去の文庫解説でも多くの論者が優れた意見を述べてきたので、今さら付け加えるべきことはそれほどない。犯人捜しを中心に据えた謎解きミステリーとしての関心と、文明社会に紛れ込んだ怪物を狩り出すスリラーとしての起伏に富んだ物語運びとが共に備わった作品であり、スピード感を楽しみながらどんどんページを繰っていくだけでも十分おもしろいし、作者が企みをこめて書いた個所を探しながら腰を据えて読むこともできる。単純さと複雑さを兼ね備えた構造が物語に強度を与えている、というのが私流の簡単なまとめだ。
さらに付け加えると、本シリーズには天才探偵と天才犯罪者という古典的な対決の構図が備わっている。昨今のミステリー界を見渡しても、いや、時代を遡(さかのぼ)ってみたとしても、これだけの曲者を敵役として輩出したシリーズ作品は稀であるはずだ。そこで今回は、シリーズ未読の方向けに、ライム&サックス・チームがこれまでどのような敵と闘ってきたかを、リストとしてまとめることにした。昔懐かしいケイブンシャ版『全怪獣怪人大百科』に敬意を表して、これを『全悪人怪人大百科』と名づけることにする。これを読めば、シリーズの他の作品を未読の方でも安心して途中から読み始めていただけるので、ぜひご活用いただきたい。残念ながらかの大百科のように「身長」「体重」や「名前」を書くわけにはいかないので(ネタばらしになっちゃうから)作品名と通称だけでご勘弁願いたい。物的証拠を重んじるライムには「せめて足跡ぐらいつけたらどうかね」と言われそうであるが。
さてはご覧じろ。
(1) 『ボーン・コレクター』
(2) 『コフィン・ダンサー』
(3) 『エンプティー・チェア』
(4) 『石の猿』
(5) 『魔術師(イリュージョニスト)』
(6) 『12番目のカード』
(7) 『ウォッチメイカー』
(8) 『ソウル・コレクター』
(9) 『バーニング・ワイヤー』
(10)『ゴースト・スナイパー』
(11)『スキン・コレクター』
※題名の後の年号は(原著刊行/訳書刊行)の順である。また、週刊文春ミステリーベスト10と「このミステリーがすごい!」の各年度順位を付した。版元はすべて文藝春秋。
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