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【対談】佐々木譲×逢坂剛 鬼平 VS. 警察

【対談】佐々木譲×逢坂剛 鬼平 VS. 警察

文:「本の話」編集部

『平蔵の首』 (逢坂剛 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

逢坂 佐々木さんとは、お互いに警察小説を書いたり、歴史小説を書いたりしていることもあって対談の機会が度々あります。まあ、古い縁で……(笑)。

佐々木 いやいや、新人賞をいただいてデビューした辺りから、色んなところで逢坂さんとはご縁があります。

逢坂 確かオール讀物新人賞を獲ってデビューされたのが、私のオール讀物推理小説新人賞受賞より1年早い1979年(昭和54年)でしたか。

佐々木 そうですね。

逢坂 もう30年以上も前か! つい最近まで若手かと思っていたのに、いつの間にか中堅になって、まあ、2人とも年も取ったわけだ。

佐々木 最近ではベテランと言われてしまいます。

逢坂 来年あたりは、もう文豪になっちゃうんじゃないかな(笑)。

大江戸版・潜入捜査

佐々木 逢坂さんの『平蔵の首』(本書)、読み終えたばかりです。早速、感想から話しましょうか。

逢坂 改まって言われると、何だか緊張してしまう(笑)。

佐々木 読後スッと浮かんだ言葉をメモしてきたんですが、この作品のキーワードは、まさに大江戸版『インファナル・アフェア』でしょう。いわゆる捕物帳では全然ない。現代の警察を題材にした潜入捜査ものを読んでいるようでした。本当に面白かったです。

逢坂 そういう意識はなかったけれど、意外な犯人探しというわけでもないし、考えてみたらなるほどね。

佐々木 逢坂さんが悪徳警官を主人公に描いた『禿鷹』シリーズ(文春文庫)に流れが通じるものとして、私には読めました。登場人物たちはキャリアの幹部警察であっても、決して純粋な正義でもない。というよりも、かなりのワル(笑)。ノワールな警察小説の雰囲気と、『平蔵の首』に通底しているハードボイルドな雰囲気には、間違いなく共通する匂いを感じました。

逢坂 そう言われると有り難いなあ。長谷川平蔵を主人公にした時代小説と言えば、誰もが池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』を思い浮かべる。これほど書きにくいものはなくて、「オール讀物」の前編集長に脅かされて、無理やり書かされたんです(笑)。

佐々木 脅かされたんですか?

逢坂 うーん、まあ苦労しました。要するに池波さんの真似を少しでもしてしまったら、鬼平ファンの顰蹙(ひんしゅく)をかってしまいます。“鬼平臭”をゼロにすることは無理でも、少しでも消したい。ところが、池波さんの鬼平のキャラクターは、『よしの冊子(ぞうし)』という古文書に記されているものと非常によく似ているんです。この資料が活字になったのは、鬼平がはじまったあとだから、池波さんは多分、読んでいないでしょう。それにも関わらず想像だけで、実像そっくりの鬼平を創り出したのは作家の勘ですね。同じ物書きとして、これを踏襲することはできないと悩み抜いた末、平蔵があまり登場しないようにする仕掛けを考えました。

佐々木 絶対に池波さんの書いた平蔵には出来ない、という縛りがあったわけですね。

逢坂 たとえば「長官」と書いて、「おかしら」と読ませるとか、「お盗(つとめ)」「急ぎ盗(ばたらき)」という言葉は、全部、池波さんの発明です。自分で書いてみると、実にこの言葉がうまいということが分かる(笑)。ここで池波さんの作った言葉を使いたいという誘惑は、多々あったんですが、それはやっぱりまずい。

佐々木 同じ江戸、天明・寛政の時代でありながら、全く雰囲気は池波さんとは違いました。

逢坂 池波さんのファンにどのように読まれるかが気になりますね。またうちの親父(挿絵画家の中一弥(なか・かずや)氏)が、池波版の鬼平と私の平蔵の両方の挿絵を描いているんですけれど、まったく何の感想も言わない(笑)。

佐々木 逢坂さんオリジナルの江戸の世界が広がっているのを感じましたよ。私は北海道出身の人間なので、以前は捕物帳の舞台に、実感がなかなか湧かなかったんです。上京して谷中に住むようになってから、「上野寛永寺の鐘の音が聞こえるような世界があるんだ」とか、隅田川の観光船に乗ると「江戸の表玄関は川の方向を向いているんだ」とか、改めて発見がありました。逢坂さんは東京育ちだからこそ、神田や浅草といった江戸の東側を舞台に、大川をはじめとする水路をうまく使いこなせる――クルマのないこの時代、猪牙舟(ちょきぶね)という小さな舟が、悪党たちの移動手段だったという発想が出てきたんじゃないですか?

逢坂 以前から不思議に思っていたのが、時代ものでは「盗賊が横行した」とよく書かれているでしょう。でも、江戸の街には木戸番というものがあって、そこを潜(くぐ)らなければ隣町に行けなかったとされています。しかも夜四つ(午後10時頃)にはそれが閉まって、人が通る時には拍子木を打って合図をした。泥棒たちは裏道を通ったのかもしれないけれど、大人数でゾロゾロ歩くのもちょっとおかしい。それでいつも水路を使ってばかりになって……(笑)。

佐々木 いや、やはり水路、運河を舟で行くしかないと思いますよ。千両箱ひとつ二十数キロあるわけですから。

逢坂 あんなものを担いで、屋根から屋根を伝う芸当なんて、とても無理ですよね。私の小説への考え方は、必ずしも現実をそのまま写し取ることを目的としない。作品の中にリアリティがあればいいんです。例えば『禿鷹』シリーズの舞台は渋谷ですが、私は渋谷をそれほど詳しくは知らない。現実との違いはあったとしても、何か渋谷の街の匂いがひとつでも立ち上ってくれば、それでいいわけでしょう。

佐々木 そうですね。

逢坂 池波さんは江戸の雰囲気をよく伝えていると言われますが、江戸だって誰もみたことがないんだから、本当に実際そのままを伝えているのかは分かりませんよ(笑)。ただ、そこに池波流の歴然たるリアリティがあるから、それでいいんです。

地層に埋もれた過去が

逢坂 さて、物語の舞台ということで言えば、佐々木さんの『地層捜査』(文春文庫)を読んで驚いたんです。舞台になっている新宿区荒木町という街のことを、これまで特に詳しかったわけではないんですよね?

佐々木 友人が荒木町の出身で、ここに花街がかつてあったということは聞いていたんです。というよりも、実はその友人の母親がかつて芸妓さんで、古いアルバムなんかも見せてもらい、当時の荒木町の雰囲気に惹かれたのが最初のきっかけでした。

逢坂 何となくそういうのは創作意欲が掻き立てられる。

佐々木 以前、『警官の血』(新潮文庫)を馴染み深い谷中天王寺町を舞台に書いたんですが、警視庁を扱った小説を次に書く時に魅力的な街はどこだろうか――あまり取り上げられたことがなく、地層深くに何か事件が隠されていそうな街ということで、荒木町を選びました。

逢坂 相当、現地踏査をしたでしょう。

佐々木 何度も歩きましたね。

逢坂 でも、よく何十年も前の歴史がわかりましたね。

佐々木 往時のおもかげは、黒塀の料亭みたいな建物が少し残っているだけですが、それこそ、何となく物語がありそうに思えたんです。小説の中でも書いたように、荒木町の地形は、ちょうど窪地のようです。その段々が、この街は横の広がりだけではなく、垂直方向にも何か深いものがありそうだと感じさせてくれました。

逢坂 私は荒木町には昔よく行っていたんだけれど、それには気付かなかったなあ。でも、何か不思議な匂いのある街で、とんでもない細い路地なんかを歩くのがすごく楽しい。これを読んで、久しぶりに訪ねてみたくなりました。さらに、私や佐々木さんの世代では、実際に知らないはずの花街の様子も、話の中で懐かしく甦っています。

佐々木 それはもう知らないし、どんなに調べても多分書けないものだと思ったので、書くときに自らに課した制約があるんです。あの時代の直接描写はしない。あくまでも回想・伝聞形式の中で主人公の水戸部裕刑事の耳に入ってくるようにしました。

逢坂 でも調べれば調べるほど、何か見てきたようなことを書きたくなってしまうものじゃない?

佐々木 かえって詳しい人には、ばれてしまいますよ。水戸部の意識の中でフィルターをかけられた荒木町の過去であれば、不自然ではないと考えまして。

逢坂 それで違和感なく、過去の場面も読めるんですね。

佐々木 もう一つ、改めて任侠映画を観ましたね。『昭和残侠伝』や『日本侠客伝』シリーズなんかは、戦前を舞台にしているんですけれど、芸者さんと客の雰囲気、あるいは建物や街、働く人の雰囲気は、大きく変わっていないはずです。それを視覚的に自然に思いだせるくらいまでに頭に入れようと思って、DVDで買いこみました。もしかしたら、いまも政治家たちは赤坂辺りで花街の雰囲気を体感しているのかもしれないけれど、逢坂さんだって無縁の世界でしょう?

逢坂 広告代理店に勤めていた若い頃、得意先のご招待で向島に連れていかれたことがありました。野球拳をやる時に、くわえタバコで立ったら、「畳の上でくわえタバコは駄目よ」なんて、色々教わってね。当時はギターを弾いてばかりだったから、「禁じられた遊び」を三味線で弾いて聞かせたら、「あなたは器用なことをする坊ちゃんだ」なんて言われて、男をあげましたよ(笑)。

佐々木 エッ、逢坂さんは三味線も弾くんですか?

逢坂 やらないけど弦楽器だから、何となく弾けたんだね。まあ後にも先にもそれが唯一の芸者遊び体験ですよ。

佐々木 やっぱり私は見てきたように、書かなくてよかったんだ(笑)。

漱石の作品は本郷小説

逢坂 私なんかは、調べたことを十のうち八くらいはせめて書こう、と欲張ってしまうタイプ(笑)。でも、池波さんという作家は、十調べたことも二くらいしか、ご自身の小説に書かなかった気がします。『鬼平』に限らず、池波さんの小説は改行が多く、心理描写のくどさがない。いま思うと冷や汗ものですが、若い頃は行間がスカスカしているようにも見えたものです。これがプロになってから読むと、実はそこに恐るべき情報が埋まっているのに驚きました。読者は無意識にそれを掘り起こしながら読むから、逆に想像力をかき立てられるんです。

佐々木 逢坂さんとは別の意味で、私は若いころは、池波さんのいい読者ではなかったんです。というのも、先ほども言ったように北海道に生まれ育った人間には、江戸文化への距離は、外国文学を読むのと同じように遠い。「オール讀物」を買って読む時は、東北のどこか小さな藩を舞台にした藤沢周平さんの小説を楽しみにしていました。

逢坂 藤沢さんの人気がグーッと出たのは晩年で、池波さんの『鬼平』がスタートした昭和40年代前半より、もう少し後でしょうけれど、藤沢さんもオール讀物新人賞の出身ですよね。

佐々木 藤沢さんは、私が新人賞をもらった時には、選考委員のお一人でもあったんです。今でも変わらぬ人気がありますが、池波さんと藤沢さんは、かつて「オール讀物」の二本柱でしたよね。私もその頃はもう、台東区の谷中に住んで、歌舞伎好きの下町生まれの女房は、テレビの『鬼平』も大好きでね。色々と教わっているうちに、『鬼平』の面白味も分かってきました。

逢坂 土地鑑って書く時だけでなく、読む時でも大切ですね。

佐々木 隣り町の本郷(文京区)は、夏目漱石が住んでいたこともあって「文豪の街」っていうキャッチフレーズを地元でつけているんですが、それこそ谷中に住んだら、突然、漱石は本郷のご当地小説を書いていたことに気がつきました。札幌の高校時代、いま一つ面白くなかったのに、本郷小説だったと気づいて、目から大きな鱗が落ちました(笑)。池波さんの書いた江戸ものもそれと同じですね。

逢坂 それは分かるような気がするなあ。池波さんの小説は土地鑑もそうですが、さらにリズム感に天性のものがあるんですよ。ハードボイルド系はとにかく書きこまないと気が済まない感じの小説が多く、私もそうしたものをよく読んできたけれど、池波さんは綿密な部分とスッと進む部分をパッと切り替えていく。作品から学ぶことは本当に多いです。

 

事件が先か、小説が先か

 

逢坂 佐々木さんの『地層捜査』に話を戻すと、新シリーズと銘打たれていましたね。主人公を水戸部にして、今後も続くんですか?

佐々木 はい。彼が捜査一課には戻らず、特命捜査対策室で再び古い事件を担当することになります。

逢坂 私が読者として気になったのが、主人公の水戸部よりコンビを組んでいた相談役の加納良一。こいつが犯人なんじゃないかと思うくらい行動も怪しいし、ちょっとワルなんでキャラが立っていますよね。この2人の関係がどう変わっていくのか、興味がありますね。

佐々木 それは困った(苦笑)。次は加納が出てこないんです。事件を管轄した四谷署で元捜査本部にいたという設定で彼はでてきたものですから……。

逢坂 そうか、今度は荒木町が舞台じゃないんだ。

佐々木 今度は代官山です(『代官山コールドケース』文藝春秋)。同潤会アパートが壊されて、大規模な再開発が行われたあとの現在のようなお洒落なイメージとは違う、15年くらい前の過去の事件です。

逢坂 もったいない! 水戸部だって非常に優秀な男ではあるんだけど、加納みたいな癖がないんだよなあ。

佐々木 主人公の性格はどうしてもニュートラルになっちゃうんですよね。

逢坂 主人公を書くのは確かに難しい。人のいい主人公というのは、書いていてもあんまり面白くないし(笑)。私と佐々木さんの愛する西部劇のリチャード・ウィドマークだって、最初に悪役をやっていた頃は、すごくキャラが立っていたけれど、人気が出て主役になったら面白くなくなっちゃったじゃない。

佐々木 そうでした。

逢坂 雰囲気があっても、みんな正義の味方になっちゃってねえ。

佐々木 リノ・ヴァンチュラだって、いい刑事になってしまいましたし、主役はそういう宿命なのかもしれません。

逢坂 まあ、新しい魅力的なキャラの登場がきっとあるんだろうね。こういう過去を調べていく警察ものは、アメリカではテレビドラマにもなっていて、『コールドケース 迷宮事件簿』は、私もよく観ていました。殺人事件に向こうは時効がないから、昔の事件もこうして取り上げられるんですね。

佐々木 時効という問題でいえば、この『地層捜査』では、時効制度がそもそもあるべきなのか、あるいは無くすべきなのか――そのことについても少し考えてみたいと思いました。結論は出していないんですが、小説の形で何らかの思考実験を試みたんです。私は警察小説の原点とも言える『ユニット』(文春文庫)を書いた時も、同じように少年犯罪を考えてみたいという思いがありました。

逢坂 自分は小説で問題提起をしようという、肩肘張ったところが、まるでないけれど、一般的には組織に綻(ほころ)びが出てきたり、問題がポツポツ出てきたりすると、よく小説に取り上げられるようになる。最近、『検事の本懐』(柚月裕子)や『司法記者』(由良秀之)といった、検察のことを書いた小説を面白く読んだんですが、検察特捜部の証拠改竄事件があって、色んなものが出てきたんでしょう。今ではすっかり定着した警察小説のブームも、1990年頃から警察の不祥事がボロボロ外に出てきたのと、ほぼ軌を一にしている気がします。

佐々木 『ユニット』を書いたのは2002年でしたが、それを取材していたときに、稲葉事件(北海道警裏金問題)のことを発覚前に聞いたんですよ。まさかと思っていたらいきなり発覚して、これが私が警察を直接素材にした小説を書こうと思ったきっかけですね。

 

逢坂 私が『禿鷹』シリーズで悪徳警官を書いたのは、実際の事件とはまったく関係はない。むしろ知り合いのお巡りさんから話を聞いたら、私なんか気が弱いから、つい悪いことは書いちゃいけないとか、弱腰になっちゃうんじゃないかな(笑)。でも、佐々木さんの作品は、2011年の『密売人』(ハルキ文庫)でもそうだけど、警察内部の暗部をあれこれ書いていても、警察官個人に対してのリスペクトの気持ちは失っていない。中には腐ったリンゴはあるけれど、警察官全員が悪いわけではないと示す節度がありますね。

 

佐々木 はい。道警シリーズでは、いま組織の中で生きている人間、サラリーマンであり、組織人である人たちの喜怒哀楽というのは、きちんと書きたいと思っています。警察組織というのは、会社とは少し違うかもしれませんが、組織としては一番極端な問題が出るところです。その中の人たちの思いというのは、一番普通のいまの日本人を書くことにつながると考えているんです。

警察小説の系譜

逢坂 横山秀夫さんの登場があって、10年ほど前から、警察小説ブームと言われるようになりましたが、日本では一口に「警察小説」といっても、定義がはっきりしていませんよね。海外の警察小説というのは、流れが二つに分かれていて解りやすい。エド・マクベインの『87分署』シリーズに代表される警官や刑事の群像で描かれる事件解決ものと、マギヴァーンのように一刑事が主人公のハードボイルドもので分けられる。

佐々木 エド・マクベインは非常に好きですね。

逢坂 私はまるっきり駄目なんだ。

佐々木 『87分署』の登場人物たちは、ほとんど現場警察官や二級刑事、一級刑事といった下積みの人たちです。彼らが地道な捜査で事件を解決していく。私は本格物の名探偵ミステリーが苦手だったこともあって、このシリーズを面白く読みました。もう一つ、1970年代にリアルタイムで読んだのが、『マルティン・ベック』シリーズです。

逢坂 『87分署』に比べると、ハードな感じがするけどね。

佐々木 社会派ですよね。謎解きの面白さもあるんだけれど、基本的な世界観、哲学が、警察小説でありながらアンチ警察なんです。最初から最後まで、「本当の敵は警察組織である」という思想が一貫しています。警察小説というのは、組織全面礼賛でなくともいい、むしろ対立構造があることを知ったのは『マルティン・ベック』で、これが今の私の道警シリーズなんかにも、直接の影響を与えていますね。

逢坂 私は捜査小説や、警察の手続きがどうなっているかよりも、組織対個人、警察という組織の中での刑事の相克に興味があって、人が読まないようなものも探し出してずいぶん読みました。でも別に警察の内部状況が知りたいわけではなくて――要するに警察組織そのものが、管理化された社会の縮図のようなものなんだと思います。作家の立場からすると、社会全体とすると非常に漠然としているので、警察という具体的な組織を利用して、個人を描いているといってもいいかもしれない。

佐々木 『隠蔽捜査』シリーズなどは、今野敏さんの警察論小説である気がしますね。「警察はかくあるべき」ということを語られているように読みました。

逢坂 なるほどね。私の場合は警察に対して何か含むところがあったり、ましてや警察を糾弾しようなんて大それたことは全くないんだけれど、読む人によってはそのように読めることだってあるのかもしれない。でも、読者がどこで何を感じてくれるかは別として、エンターテインメントである以上は、メッセージよりもまず、一つの世界が一冊の中にあって、それを楽しんでもらえたらそれでいいという気持ちで書いています。

佐々木 エンターテインメントを書いていて、声高に何かを言う必要はないというのは同じですね。基本的には私も明快な結論は出せない問題のほうがはるかに多いんですよ。『地層捜査』にしても『ユニット』にしても、「考えてみます」というのが、精一杯の作家としての立場だと思います。ただ、『ネプチューンの迷宮』(扶桑社文庫)では、日本の原子力政策、特に中曽根康弘の構想に、はっきりノーと言いましたけれど……。

 

大震災の前と後で

 

逢坂 2011年の大震災の日は、どこにいたんですか?

佐々木 札幌の仕事場です。

逢坂 私も神保町の12階の仕事場でした。ずいぶん揺れて、本がボコボコ飛び出してきましたよ。

佐々木 フォーサイスの『オデッサ・ファイル』には、冒頭「ケネディ大統領が暗殺されたとき、自分がどこで何をしていたか憶えている人間は多い」と書かれているんですが、日本人にとっては終戦の日以来、この3・11は決定的な共通体験になったと思います。

逢坂 これまで日本は、昔から地震や台風などがあまりにも多く、普段の災害に対して諦めが早いんですよね。教訓にできなかった反省はあるでしょうが、江戸時代を見ると、大火で家財一切が焼けた翌日から掘立小屋で商売を始めていたりする。何があっても必ず再起するというエネルギーが、災害に度々遭ってきた日本人のDNA中には、きっとあるんじゃないかとも思うんです。

佐々木 さすがに3・11以前と以後では、日本人の考えることは、間違いなく変わってくるでしょうね。

逢坂 でも、作家としての自分は全く変わっていない――私はもともと小説家なんて何の役にも立たないと思っていたからね。今度のことで、その正しさが証明されました(笑)。ただ、物事は色んな面から見ないと分からない。このことは、原発の問題だけでなく、つくづく感じました。考えてみれば、池波さんの小説の中でも、絶対的な善もなければ、絶対的な悪もないですよね。平蔵だってあれだけ人情がありながら、容赦ない拷問だって時にはする。悪の中にも善があり、善の中にも悪があるはず――そこにあからさまな人間の本性が出てくるわけで、そういうものを分かりやすく書くのが、我々エンタメ作家の使命だと改めて思っています。

佐々木 そうですね。

逢坂 読者のためよりも、基本的には自分が楽しいから、自分のために書いているわけだし……(笑)。

佐々木 ええ、エンタメ作家はみんなそうですよ。

(「オール讀物」2012年4月号)

文春文庫
平蔵の首
逢坂剛 中一弥

定価:682円(税込)発売日:2014年09月02日

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