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昭和から平成へ――クロニクルとしての警察小説

昭和から平成へ――クロニクルとしての警察小説

文:杉江 松恋 (書評家)

『代官山コールドケース』 (佐々木譲 著)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 文芸評論家の川本三郎氏が文庫版『地層捜査』に、同作を四谷荒木町の地誌を描いたものとして読み解く解説を寄稿しておられるので、どうかそちらにもお目通し願いたい。四谷荒木町を舞台として『地層捜査』で描かれたのは、現在では消失寸前の花街文化の残滓である。一九八〇年代の地上げによって一帯は歯抜けにされ、住民たちも一部は離散した。つまりバブルによって終止符を打たれた昭和の記憶を小説の形で再生したのが『地層捜査』という作品だったといえる。

 それに対して『代官山コールドケース』の主舞台となる渋谷区代官山は、昭和から平成への移行期に大きく性格を変えた地域である。作中にも出てくる同潤会アパートなどの日本のマンション建築の草分けとなった建物が存在し、一九八〇年代までは完全な住宅街だった。東京と神奈川の繁華街を結ぶ東急東横線は、渋谷から一つ目である代官山で編成の増加に対応できず、一九八〇年代中盤までは一部のドアを閉じたままにしていた。代官山駅はそんなローカル駅であり、駅周辺でも昭和の空気を残す店屋がそのまま営業を続けていたのである。一九九六年に同潤会アパートが解体されたことでそうした旧時代は終焉(しゅうえん)し、再開発期を迎える。一九八〇年代後半から九〇年代にかけての代官山は、何か新しいことが起きそうだという期待感に溢れた街であり、それゆえに時代の先端を行こうとする若者を引き寄せてもいた。佐々木は一九九五年に起きた事件を描くことにより、その空気感を本書の中に封じ込めているのである。『地層捜査』が「失われた昭和」を描く作品だとすれば、本書は「昭和から平成への移ろい」を描いたものなのである。直接その時代を描いたわけではないのに、二〇一二年という〈現在〉から当時を振り返るひとびとの証言だけで、その情景が鮮やかに甦ってくる。

 この連作で描かれる過去の事件がいずれも一九九五年に設定されているのは、二〇一〇年四月に刑事訴訟法が改正され、殺人などの重大犯罪については時効が廃止されたためだ。一九九五年四月二十七日以降に発生した事件にそれが適用されるため、日付が問題となってくる。この日付が重要で、本書では同年三月二十日に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件が影響してくる。その捜査に人員が割かれたために手が回らず、代官山の事件は不満足な結果に終わったという設定なのだ。昭和から平成への転換期の節目を考えるとき必ず浮上してくる事件を背景に重ね合わせたのは当然のこととして、本書にはもうひとつ重要な出来事が描き込まれている。その出来事を借景として眺めることにより、昭和から平成への転換期の事件として近過去に見えていたものが、一気に現代のこととして切迫した印象に変わるのである。長い時間経過を描くミステリーとしては理想形というべき叙述の仕方と言うしかない。

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文春文庫
代官山コールドケース
佐々木譲

定価:803円(税込)発売日:2015年12月04日

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