二〇〇九年二月に出た『鳥かごの詩(うた)』(小学館)から話をはじめよう。同年八月に急逝した時代小説家北重人の初の現代小説であり、時代小説ではないのであまり話題にならなかったけれど、北重人の自伝的な作品であり、生きていたら現代小説でも成功していたのではないかと思わせる秀作だからである。
この小説の舞台は、昭和四十一年(一九六六年)の東京の下町。日本の人口が一億人を突破し、ビートルズが来日した年に、鳥海康男は大学受験に失敗し、上京し、下町の新聞販売店に住み込んで働きながら、翌年の受験をめざすことになる。『鳥かごの詩』は、その一年の記録である。
鳥かごというのは、二階の住居部分を個室風に段ボールで仕切った部屋のことで、そこに個性の強い風変わりな同僚たちが寝起きし、配達先には刺青(いれずみ)入りの男たちほか癖のある住民たちも少なからずいて、康男はさまざまな体験をしながら、人生をみつめていくことになる。出会う人のなかにはやくざの娘の少女もいて、康男は恋心をおぼえ、受験勉強にも身が入らなくなる。はたして恋の行方は? 受験の成果は?
現在から過去を振り返るプロローグとエピローグがあり、それに一年を綴る二十八章があり、全部で三十章。春夏秋冬の出来事や事件を織り込み、毎章メリハリがあって、まるで新聞連載小説の按配(ちなみに書き下ろしである)。賑々(にぎにぎ)しいキャラクターの登場は愉しく、筆の運びも軽快で、さまざまなエピソードをちりばめ、回収していく手際もよく、一気に読ませる力がある。何よりもいいのは、恋と喧嘩と友情の物語が次第にふくらみ、井上靖や石坂洋次郎の青春小説や成長小説の匂いがしてくるところだろう。生きることにまっすぐで、てらいがなく、それぞれが充分に語り合い、よりよき道を模索する。
そんな康男が、故郷について語る場面がある。恋する相手のサキちゃんに故郷について訊(き)かれ、康男は次のように考える。“普段、康男はできるだけ、故郷のことは思い出さないようにしている。いま大事なのは、ひたすら前を向いて進むことだ。故郷を想うことは、後ろを振り返ることになる。/だが、人に訊かれれば別だ”といって、夏の庄内地方(山形県北西部の日本海側に位置する地域で、中心が酒田市と鶴岡市)の風景を語りだす。別のところでは親戚からきいた酒田での長閑(のどか)な(というと語弊があるが)空襲体験が悲惨な東京大空襲との比較で語られるし、東京人が酒田での地吹雪体験を披露するし、米沢出身の人間を配して山形の内陸と比較したりと、故郷山形への思いが深い。
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