『鳥かごの詩』は酒田出身の少年を主人公にしているし、『汐のなごり』は酒田を舞台にしているけれど、作品に直接あらわれなくても故郷である庄内地方が作品に役だっていることがある。『夏の椿』『蒼火(あおび)』(ともに現在文春文庫)に続く長篇第三作『白疾風(しろはやち)』(文春文庫一月刊行)である。
『白疾風』は、江戸草創期の話で、戦国時代を生き抜き平穏な生活を送っている忍びの者たちが、村に侵入してくる無頼者たちと対決する内容で、舞台となるのは武蔵野である。“一般に武蔵野とは、東京の西を区切る関東山地の青梅を要とする扇状台地を指す。北は入間川、南は多摩川によって区切られ、東京都の過半と埼玉県の一部を含む”(引用は、山形新聞二〇〇七年一月二十日付「東京の魅力、庄内の魅力」より。以下同じ)。地図で計測すると、西端の青梅と東端の皇居の間は四十五キロほど、武蔵野台地の南北の幅はおよそ三十五キロ、そのうち東京都分は二十キロだとわかったが、“小説を書いていて、武蔵野の広さが実感できなかった”。なぜなら“東京の空は建物に遮られ、はてもなく家並みが続くばかりで、「武蔵野は月の入るべき峰もなし尾花が末にかかる白雲」と歌われたその広がりを、もはや感じることはできない”からである。
しかし、父の二十三回忌で酒田に帰郷し、妹の運転する車で庄内平野を縦走したときに、その空間を実感できたという。地図で確認すると、南の金峯山の裾から北の鳥海山麓の吹浦までは四十数キロ。狩川と海岸線までの間はおよそ二十キロ。“つまり、庄内平野と東京都の武蔵野台地部は、形状は異なるが、ほぼ同じような大きさ”なのである。
ドライヴしたときは、“鳥海山も月山も雲に隠れて見えなかったが、出羽丘陵に棚引く真綿のような雲を望み、庄内ののびやかさを久々に感じた”。そののびやかさは、江戸草創期の武蔵野のそれでもあるだろう。“庄内の広がりを重ねることで、ようやく武蔵野の大きさを感じることができた”。庄内を車で走りながら、よりリアルに、武蔵野の野山を駆け抜ける忍びの者たちを想像できたのだろう。
亡くなる三カ月前の五月中旬、酒田まつりの最終日に北氏と車で走り、一緒にまつりの屋台をひやかし、夜は愉しい酒を飲んだ。いつものように明るく元気で、病が忍び寄っているとはとても思えなかった。同行していた若手作家たちとも意気投合し、別れ際、今度は冬に飲みましょう!と約束したのだが、結局かなわぬことになった。
もっと時代小説を、そして現代小説を読みたかった。山形を舞台にした作品をもっと書いてほしかったと思う。生きていれば、藤沢周平の海坂藩に匹敵するようなものが書けた作家だけに、残念でならない。ご冥福をお祈りします。
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