書評

戦国武将の子『又兵衛』が
浮世絵の元祖だった

文: 辻 惟雄 (東京大学名誉教授・MIHO MUSEUM館長)

『浮世絵をつくった男の謎 岩佐又兵衛』 (辻惟雄 著)

 長谷川巳之吉(みのきち/1893-1973)という人の名を記憶する人は少ないだろう。最近出た長谷川郁夫氏の『美酒と革嚢――第一書房・長谷川巳之吉』(河出書房新社)にくわしい。出版、編集を専業とする方々には、よき時代のよき本づくりを偲ぶよすがとなろう。文芸雑誌『セルパン』を発行する第一書房の社主として、岩波書店の岩波茂雄、文藝春秋の菊池寛らとともに、時代の出版文化を担った大物の個性派である。

 私は一九六二、三年のころ、この人に一度だけお会いしたことがある。氏が「山中常盤(やまなかときわ)」という特異な絵巻と運命的な出会いをしたときのいきさつを尋ねたかったからである。長谷川郁夫氏の本によれば、相当変った向こう見ずな情熱家で、自己宣伝にたけた人というが、お会いしたときは温顔の好々爺になっておられ、当時のことを淡々と話して下さった。その内容は、氏の親友であった松岡譲氏の「又兵衛発掘」と題した、かなり長いエッセイ(昭和九年五月執筆)とほぼ同じだった。このエッセイが載るのは、表紙に『岩佐又兵衛の今昔――又兵衛論争と発掘の経緯』と書かれた薄い冊子で、若いとき神田の古本屋で見つけたものである。

“「岩佐又兵衛」といえば三歳の児童でも知っている日本絵画史上切っての高名な画家である”――松岡氏のエッセイはこう切り出す。大学院に入った私が、又兵衛研究を始めたのは、今から半世紀前だが、当時又兵衛は全く忘れられた存在だった。いまでは、だいぶ関心が増えたとはいえ、三歳の児童までが知るにはまだほど遠い。しかし他に類のない数奇な生涯を送った画家である。

 松岡氏は、明治以後、さまざまな人が又兵衛の謎ときに挑んだ経緯を詳しくたどった後で、本題の「山中常盤」発見のくだりに入る。“昭和三年十二月十四日、冷い暗いガスのたれこめた陰気の日”長谷川君がそそくさとやってきた。当時「近代劇全集」の失敗で赤字を出した、その穴埋めの相談かと思ったら、さにあらず。興奮にふるえる手で、薄っぺらな紙包みを開いて出したのは、十枚ほどの八つ切り写真である。昨夜、神田の書店Iに寄ると、主人のSがこれを見せてくれた、ドイツの美術館の人が是非にといっている絵巻だ、Sは近くその人と同行してドイツに行き、現地で金を受け取る。せめてもの名残にと撮ったのがこの写真という。松岡はそれを見ているうち、“とりわけ常盤御前主従が夜盗にあって裸にむかれる生々しくも痛々しい描写を見ては、その容赦ないレアリズムにすっかり魂を奪はれて、心臓がいたむ程の興奮を覚えた。”――松岡にも長谷川の又兵衛熱が移って、二人ともすっかり擒(とりこ)になってしまったのである。

【次ページ】

浮世絵をつくった男の謎 岩佐又兵衛
辻惟雄・著

定価:本体1,200円+税 発売日:2008年04月21日

詳しい内容はこちら



こちらもおすすめ
インタビューほか芸術家の迸(ほとばし)りと、棟梁として守るべきこと―― 天才絵師・狩野永徳の歓喜と身悶えを描く。(2013.04.26)
インタビューほか高橋克彦×水谷 豊 ドラマ化記念対談 天才浮世絵師 歌麿を巡る傑作時代ミステリー!(2013.07.23)
書評狩野永徳は山本兼一だ(2015.03.16)
インタビューほか雅(みやび)と武、西と東の戦い(2009.10.20)