これらの切ない欠如態にあって俄然、目覚めた猛烈な食欲は人を悩ませ狂わせるが、その一方で、現下の苦境を乗り越え生きのびていくためのたしかなよすがともなるかのようである。事実、大岡昇平は「食慾について」で、軍隊時代に出会った兵士たちのなかでも、人一倍、食い意地の張った連中は異常な状況下でも申し合わせたようにみな平静さと人間味を失わなかった、というたいへん注目すべき報告を行なっている。彼らの並みはずれた意地汚さは当然、他の兵士たちの物笑いの種となった。しかし「食慾について」の著者は彼らを嘲笑するかわりに、こう判定する。「滑稽のヴェールは、その下にある人間の真実を蔽う最も厚いヴェールである」。彼はこのヴェール越しに、「その下にある人間の真実」を、すなわち「食物に対する異常な関心」は人を幸せにし得るという一つの真実をふと垣間みたのだ。
もっとも、いくら食欲旺盛であっても、肝心の食物が払底しているのでは、どうにも詮方ないだろう。そんなとき、食いしん坊は窮余、現実界から空想界へと逃避を試み、自分の好物を次々と思い浮べて何とか飢えをしのぐほかない。内田百間の「餓鬼道肴蔬目録」や吉田健一の「饗宴」に網羅された料理の種類のめくるめくばかりの豊かさをみるがいい。これほどの絢爛豪奢をきわめた「饗宴」の席に、人は「餓鬼道」に堕ちて初めて加われるのであり、「飽食の時代」の私たちなどはとうていそこに招待されるべくもあるまい。ましてや、赤貧のどん底で、わが家の米びつがきれいさっぱりすっからかんになったことを祝って、家族とともに「葡萄の収穫(とりいれ)」をことほぎ、「撃壌鼓腹之歌」を作製する「VENDANGE」の吉田一穂や、下町の銭湯の、「ちりちりの髪を洗っている、真赤に肥った中婆さんや、地獄の針の山に追い上げられている女亡者のような痩せさらばえたお内儀さん」でいっぱいの湯船につかりながら、スペインはアルハンブラ産のバッサンという、舌のとろけそうな名菓を目をつぶって思い浮べる「ビスケット」の森茉莉のような、「贅沢貧乏」の達人たちの至芸にいたっては、私たちはどう逆立ちしたって絶対、真似できっこないのである。
これらのファンタスティックな大饗宴は、しかし、たんなる一時しのぎの自慰にとどまるものではない。吉田健一の「饗宴」の枕にふられた次のような一節からも、その辺の事情は明らかであろう。
「その昔、シャックルトンが何回目かに南極探検に出掛けた時に、一行四人か五人が、フォオクランド群島のもっと先の離れ島に、どこからも助けが来る当てもなしに何日も岩穴の中で暮すことになった。その一行に加っていた人のことを後で聞いたのであるが、飢えの為に気が変になったものもあった中に、その人は毎晩、もの凄い御馳走の夢を見続けて、そのお蔭でどうもならずにすんだということだった。要するに、だから、想像力を働かせて辛い思いをしているのを紛らせるのが、胃潰瘍だの、チフスだのの場合でも有効だということになる」
たかが想像力と見くびってはならない。その功徳には私たちの想像以上のものがあるのだ。その好個の例証が中島敦の「幸福」の主人公ではないか。このパラオ島きっての醜く貧しくみじめな作男は「犬猫にあてがはれるやうなクカオ芋の尻尾と魚の“あら”」だけでかろうじて飢えをしのぐ日々であったけれど、夜ごとの夢のなかで、昼間、自分の仕えている王様にとって替わり、美食にふけって栄耀栄華をきわめるに至ってより、めきめきと肥り出し、見違えるばかりの堂々たる体躯の持ち主となる。作男という現実の境遇は何一つ変わっていないのに、夢の加護の下に、彼は金無垢の幸福を手に入れたのである。「夢の世界の榮養が醒めたる世界の肉體に及ぼす影響は、又斯くの如く甚だしいのか。夢の世界が晝の世界と同じく(或ひはそれ以上に)現實であることは、最早疑ふ餘地が無い」。「其の顏は、誠に、干潟の泥の中に滿腹して眠る海鰻(カシボクー)の如く、至上の幸福に輝いてゐる。この男は、夢が晝の世界よりも一層現實であることを既に確信してゐるのであらう」。