本書は、ポルトガル生まれの手鏡に変身した北原さんが、安土桃山時代から幕末の間に生きた有名・無名の人々を、我が身に映すという形で観察し、考察するという、いわば『北原版近世通史』とでも呼ぶべき、特異な作品である。
北原亞以子といえば、江戸の市井に暮らす人々に寄り添い、その微かな心の揺らぎにまで分け入ることで、庶民の哀歓をしっとりと描きあげる名手として知られているが、歴史小説であるこの作品においても、同じ手法を用いている。やれ天下国家だの、時代の流れだのといった上からの視点ではなく、歴史という大きな渦の中で生きていくしかない一個人に寄り添い、共にその渦を見上げることで、彼らが生きた時代の全体像を浮かび上がらせる、という手法である。
前作『ぎやまん物語』では、豊臣秀吉の正室の於祢(おね)、浅井三姉妹、春日局ら戦国の世にたくましく生きた女性たちにはじまり、尾形光琳、赤穂義士になりそこねた男、江戸城の大奥を彩った女たち、八代将軍吉宗が行った改革に抵抗した僻村の男たちを描いた。
その続編である本作では、吉宗に対抗した尾張藩主徳川宗春、平賀源内と田沼意次の交遊、意次と松平定信の暗闘と、ここまでは国内の問題にとどまっていたが、蝦夷(えぞ)巡検の冒険譚からは、欧米露に対する外交が重要な案件としてのしかかる。シーボルトのスパイ事件を経て、黒船の来航とともに強固だった徳川幕府の支配体制に影が差し、その落日を象徴する存在となった新選組と彰義隊が、幕引きの役割を務める。
手鏡と化した作者は、これらの観察対象者に『寄り添う』どころか、毛穴が見えるほどの近さで『にらめっこ』をするのだ。微かな表情の変化から揺れ動く心理を読み解くことで、彼らが関わった事件の、意外な真相が見えてくる。従来の定説を超えた北原新説の面白さに、ページを繰る指が止まらない。
北原さん、と親しげに書いているが、面と向かってそう呼んだことは一度もない。北原“先生”、と呼んでいた。私が受賞した新人賞の『審査員の先生』のお一人が、北原さんだったからだ。
「よしてよ、先生だなんて。あたしはあなたの師匠じゃないんだから」
そう言われた時、私はこのように返した。
「師匠と弟子どころか、先生は私をデビューさせてくれた、いわば産みの親じゃないですか。ほら、よく言うでしょ。審査員といえば親も同然、受賞者といえば子も同然、って」
大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然、をもじって言うと、さらに嫌そうな顔をした。
「ますます願い下げだわ。この歳で、あなたみたいな、くたびれた息子を持つなんて」
北原さんは、生涯独身を貫かれた。もちろん子をなしてもいない。
四十半ばのくたびれ男だった私は、先生、と呼ぶことで、北原さんに甘えていたのである。北原さんも、そうと知って許してくれていたのだと思う。
作陶のあとはお待ちかねの飲み会で、下戸の私がわずかな酒で真っ赤になっているのをからかったかと思うと、「そろそろ白いご飯を頼んであげようか。それともおにぎりがいい?」などと世話を焼きはじめる。
ちょっぴり意地悪で、でも優しくて。粋を愛(め)で、野暮を腐し、好き嫌いをはっきりと口にする。頑固で、決して自説を曲げない。旅を好み、編集者をお供に、海外にまで取材に行っていた。好奇心も旺盛で、ジャニーズ系アイドルグループのコンサートに参戦して団扇を振った、という武勇伝を聞かされたこともあったっけ。
いきいきと人生を愉しむ姿を見ていると、ちゃきちゃきの江戸娘ってのは、こういう感じだったんだろうな、などと思ったものだ。
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