編集者は、時代小説以外のジャンルも担当するため、江戸の勉強に時間を割くのは困難である。テレビ時代劇の数が激減し、若者のほとんどが、チュウシングラって何、美味しいの、と首をかしげるようになった今、新人編集者の中には、国史大辞典だけを頼りに原稿をチェックしている人が出てきた、と北原さんは嘆いていた。
編集者のレベルが落ちれば、作品のレベルも落ちる。時代小説全体のレベルが落ちることを、北原さんは危惧していたのだ。
その研究会には、有名な作家さんもしばしば顔を出し、私は痩せた体をさらに縮めて末席に控えていた。
講義後の懇親会でも、北原さんと冗談を交わせるほど近くには座れなかった。北原さんの周りは、講師の方や大作家さん、今では出版社の重役になっている、昔の担当編集者で固められていたから。
歌川広重の浮世絵、東海道五十三次を日本橋から順番に見ながら、江戸時代の旅について学ぶ、という講義がはじまった頃のことだ。休憩時間、北原さんを囲んで談笑していた参加者の輪が崩れて、一人だけ講師席に取り残される形になった。少し疲れたのか、小さく息を吐いたが、あたりを見回して私と目が合うと、にこりと笑って手招きをした。
「ヨネさん、冷たいじゃないの、挨拶にもこないなんて。どうよ、最近」
お退屈ならば、喜んでお相手しますとも。
その時、何を話したのか、まったく記憶にない。ただ、暗い話はすまい、なんとかして笑わせよう、そう必死になっていたことだけは覚えている。体調がすぐれない日が多くなっている、と編集者から聞いていたから。
東海道五十三次の旅は、越すに越されぬ大井川を越えたあたりで終った。
入退院を繰り返したのちに、北原さんは最後の旅に出た。
着いた先は、由布が行きたがっていた、『どこか』ではない。由布は言っている、「行こうとすればすぐに行けるところなど、どこかではございません」と。
行こうとすればすぐに行けるし、誰もが、嫌でも一度は行くことになる場所になんか、北原さんは行きたくなかったはずだ。
「あーあ。蓮(はちす)の花の上で居眠りしてるなんて、つまらないわ」
こうぼやいては、羽衣の袖を翻して天上界から舞い降り、執筆に忙しかった頃には行けなかった、『どこか』を見物して回っているのではないだろうか。
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