テロリストによる爆破事件や陰謀に関わるニュースを聞かない日はない。その多くは、もともとアラブはじめ中東からヨーロッパに移住した家族の末裔か、シリア難民にまぎれこむか難民を偽装した形でヨーロッパに来着した者たちである。二〇一六年三月二十二日にブリュッセル国際空港と市内で起きた同時テロは、ヨーロッパに根を張ったテロ・ネットワークの強固さと、シリアを中心としたスンナ派過激派組織「イスラーム国」(IS)の影響力を改めて想起させた。
こうした無差別テロは、二〇一五年一月のパリのシャルリー・エブド本社襲撃で十七人の死者を出したのを皮切りに、十一月に同じパリで百三十人の死者を生んだ同時大テロにつながる連鎖に他ならない。今度の事件で痛感させられたのは、ISが本拠地としているシリアやイラクの国内にとどまらず、遠く離れたパリやブリュッセルも「戦場」と考えていることだ。重要なのは、テロの実行犯に中東から命令や指図をしたか否かといった次元の問題ではない。ISが、すべての事象を常に組織の維持と拡大を正当化し誇示する手段と見なしている以上、米欧の市民におけるISに対する恐怖心や憎悪の拡大という政治的効果こそ問われねばならないのである。
いま起きている危機は、かつての国家間の戦争とは異なるものだ。むしろ、ISに代表される非国家主体組織による国家との非対称なポストモダン型あるいはハイブリッド型の「戦争」の一部なのである。この点を見落として、事象を単純にテロ事件として扱うなら、市民の言論や移動の自由を奪うのか否かといった刑事事件に関連する次元だけで処理することにつながる。これでは現在起きているテロ拡散の危機の解決につながらない。むしろ問題は、個人の生存や社会の存在について、テロを有効な戦術とするポストモダン型の「戦争」から市民を如何に隔離し、保護するのかという見方をもちながら、歴史的な新局面に向かい合うことである。
メディアや欧州世論が一連の事件をヨーロッパ域内のテロとして矮小化するのは禁物である。シャルリー・エブド襲撃事件、パリ大テロ、ブリュッセルの同時テロは、シリアを中心に進行している中東の複合的な危機が、ヨーロッパに流入する難民の増大やテロ拡散の問題を通して、「中東欧州複合危機」にまで発展する流れを予兆させている点こそ深刻なのである。こうした見通しについて、私は『中東複合危機から第三次世界大戦へ』(PHP新書)において詳しく触れる機会もあったので、御参照いただければ幸いである。
ところで、十九世紀から二十世紀にかけての英仏露などによる中東地域の帝国主義的分割や、二十世紀から二十一世紀に至るアメリカの湾岸戦争やイラク戦争の展開は、中東地域のほぼ全住民にとって不愉快な歴史であった。だからこそ当初は、イスラーム社会の一部世論の中にISに共鳴する向きがあったかもしれない。とくにトルコやサウジアラビアにおいてはアサド政権やシーア派イランとの競合関係もあって、かなりISに近い時期もあった。しかし、イスラーム社会でも大多数の人びとは、あまりの非道さと残虐さにISの本質がテロにあり、もはや宗教上の正義に関わる問題ではないと理解するようになった。ISは、犯罪と戦争との間を自由に往復するテロによって、敬虔なイスラーム教徒とそれ以外の宗教を信じる人びととの間に亀裂を作ろうとしている。
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