さて、最初の驚きは、それまで一巻一年のペースで進んできた物語が、『今日を刻む時計』で一気に十年の時を飛び越えたことだ。本シリーズ開始時点で二十五歳だった伊三次は、『我、言挙げす』で三十三歳になった。それが『今日を刻む時計』ではいきなり不惑を越えている。幼かった長男の伊与太は十代半ばとなり絵師の修業をするため家を出ており、その前までは影も形もなかった長女・お吉が、おしゃまな口をきいていた。不破家でも、元服したばかりだった長男・龍之進が一気に二十七歳になって、置屋に居続けなどしているではないか!
この間に何があったのかは、のちにシリーズ唯一の長編『月は誰のもの』(文春文庫書き下し→『擬宝珠のある橋』に再録)で語られることになるが、『今日を刻む時計』の第一話を読んだとき、「ええっ?」と変な声が出たのを覚えている。
時を一気に進めた理由は『今日を刻む時計』のあとがきで宇江佐さん自らが語っているので繰り返さないが、ここから「髪結い伊三次捕物余話」第二期が始まった、と言っていいだろう。伊三次を中心とした物語から、子どもたち――第二世代の物語がシリーズの中で大きな位置を占めるようになってきたのである。
これは平岩弓枝の「御宿かわせみ」シリーズが「新・御宿かわせみ」へと駒を進めたときと似ている。だが、「かわせみ」が完全に第二世代の物語へシフトしたのに対し(だから「新」なのである)、「伊三次」は、第二世代である龍之進、茜、伊与太、お吉らの新たな物語と並行して、第一世代の伊三次、お文、不破友之進、いなみ、そして伊三次の弟子の九兵衛や不破家の中間・松助といったお馴染みの面々の物語も続いている。そしてこの二つの流れは別々のものではなく、ひとつの大きなコミュニティの物語として、分かち難く結びついているのが最大の特徴だ。
これは本シリーズにある効果をもたらした。もともと、町人の伊三次一家と、町方役人である不破家という舞台設定から、町人と武家という異なる視点で人生を描いてきたシリーズだったが、そこに今度はさまざまな世代が書けるようになったのである。