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宇江佐真理のすべてがわかる作品集

宇江佐真理のすべてがわかる作品集

構成:「本の話」編集部

『桜花(さくら)を見た』 (宇江佐真理 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #歴史・時代小説

「髪結い伊三次捕物余話」シリーズでおなじみの宇江佐真理さんがこのたび上梓した『桜花(さくら)を見た』は、小社の単行本としては初めてのノンシリーズ中篇集。 「伊三次」シリーズ同様、人情味あふれる江戸の市井物から、近年、深い関心のもとに書き進められている宇江佐さんの地元、松前藩の歴史物まで、多様な作品が収められた充実の一冊となった。

●「桜花(さくら)を見た」

――表題作では、刺青(いれずみ)判官・遠山景元とその落し胤(だね)との、生涯一度の対面が描かれます

「デビューして間もない頃の作品なのですが、当時、歴史雑誌で遠山景元の落し胤らしい人物がいたという記事を読んだんです。その人は作中の主人公と同じ英助という名前で、お店者(たなもの)として商人の人生を全うした人でした。これは面白いな、と思ったのが着想のきっかけでした。

 親子の対面も、彫物の話も完全なフィクションです。実は、これだけ有名な伝説であるにもかかわらず、景元の彫物を実際に見たという人の記録がない。だからこそフィクションの余地が充分にあるし、息子である英助だけでなく、読者の誰もが知りたいところだろうと考えたわけです。ですから、彫物の絵柄は私の好みです(笑)」


●「別れ雲」

――人気若手絵師との愛に生きるか、別れた前夫と縒(よ)りを戻して店を再興するか、揺れる女ごころを描いた作品です。

「これは、『幻の声』でオール讀物新人賞をいただく四年前、やはりオール讀物新人賞に応募して、はじめて最終選考に残った作品なんです。

 私は、実は、高校一年生の頃から小説を書いていたので、デビューは遅いけれども執筆歴は長い(笑)。長い間、どうにもならない代物ばかり書いてきて、このままではもう駄目だなと。それで一念発起して、はじめて本気で作家デビューしようと意識して書いたのがこの作品でした。

 それまでの文章のレベルから数段上げようと肝に銘じて書いていたので、三十枚あたりまですごく苦しかった。それを乗り越えたらようやく肩の力が抜けました。

 この作品が最終選考に残ってから、他に出した作品もぼちぼち残るようになりましたから、そういう意味では、作家としての原点となった作品かもしれません」


●「酔(え)いもせず」

――北齋の娘で絵師でもある葛飾應爲(おうい=お栄)を描いた作品です。

「杉浦日向子さんの漫画『百日紅(さるすべり)』や、皆川博子さんの『みだら栄泉』を読んで、そこに描かれたお栄という人物に惹かれるようになったのが最初のきっかけですね。

 お栄の離婚という有名なエピソードがあるんです。お栄の旦那さんも琳派の絵師だった人なのですが、離婚の原因というのが、旦那の絵が拙かったからだと。お栄は旦那の絵の下手さを笑って家を出たと、勇ましく世の中には伝わっているんです。

 しかし、私はそこに腑に落ちないものを感じたわけです。北齋の長男は放蕩者でどうしようもなく、弟は御家人の家に養子に入っている。姉は病弱で母親の所に身を寄せている。そうすると北齋の身のまわりの世話をできるのはお栄しかいない。彼女はそのためにあえて旦那を捨てたんじゃないかと思うようになりました。こういう素(す)の部分のお栄を描きたくて書いた作品です」

●「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」

――自らの絵で松前藩を救った家老、蠣崎(かきざき)波響の生涯を描いた、宇江佐さんの松前物を代表する作品ですね。

「十年ほど前、地元の新聞で蠣崎波響の描いた『夷酋列像』というアイヌの絵が紹介され、目の覚めるほど鮮やかな色彩に感動したのです。地元にこんな絵師がいたのかと驚き、波響のことを調べていくと、絵師である前に松前藩の家老で、しかも腹違いの兄が藩主という家柄だという。調べれば調べるほど面白く、これは何としても小説にしなければと思うようになりました。

 ただ、アイヌ民族を描くと、差別表現だと非難されるケースが多いという。地元の新聞社の人からは『やめた方がいいですよ』とずいぶん言われました。それで、思い余って関係の機関に問い合わせたところ、作家にアイヌ民族を差別する目さえなければ、アイヌ民族が松前藩に酷使されたのは事実なのだから書いても問題ないと言われ、ようやく安心して筆を執ることができたのです」

――「夷酋列像」の前に、「蝦夷松前藩異聞」(文春文庫刊『余寒の雪』に収録)をお書きになっています。

「いきなり『夷酋列像』を書く勇気がなかったので、前哨戦としてまず波響の死後の話から書き始めたんです。『夷酋列像』に至るまで、最初の構想から何年もかかったので、書き終えたときはホッとしました」


●「シクシピリカ」

――蝦夷地探検で知られる最上徳内の生涯を描いた、松前物の異色作ですね。

「『夷酋列像』が松前藩を内側から描いた物語だとすれば、これは最上徳内の眼を借りて外側から松前藩を俯瞰(ふかん)した作品です。

 最初は松前藩とは関係なく最上徳内を書こうと思い、山形県に取材に行ったんです。そしたら偶然、徳内が住んでいた現在の村山市が、松前藩がお国替えになったときの領地だったんですね。それで、最上徳内が松前藩というものをどう見ていたのかが気になりはじめた。別々の関心が思わぬところでつながったわけです」

――今後の松前物の執筆予定はどうですか。

「秋には朝日新聞社から松前藩士を主人公にした小説を出す予定。『ジェイ・ノベル』で書いている蝦夷地全般にまつわる話も来年にはまとめる予定で、これで一段落です。

 私もようやく市井物と歴史物という二つの線が見えてきたようなので、今後も硬軟取り混ぜて書いていきたいと思っています。歴史物で苦労すると、江戸の市井物がとても書きやすい(笑)。来年には『伊三次』シリーズの新作も出ますので、しばらく松前物はお休みかな(笑)」

文春文庫
桜花を見た
宇江佐真理

定価:748円(税込)発売日:2007年06月08日

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