書評

孫の誕生、青春の苦悩、お家騒動、祝言、そして捕物。円熟のシリーズ14作

文: 大矢 博子 (書評家)

『昨日のまこと、今日のうそ 髪結い伊三次捕物余話』 (宇江佐真理 著)

 さて、私は先ほど「『今日を刻む時計』以降、宇江佐さんは立て続けに読者を驚かせた」と書いた。十年の時が飛んだことがひとつ。もうひとつは、第十巻『心に吹く風』のあとがきで、自らの癌を告白したことである。

 単行本が文庫になるまで約三年かかるので、この本が書かれたのはまだ告知前だ。それでも、作中で誕生や死が扱われるたびに、あるいは誰かが未来に思いを馳せるたびに、宇江佐さんに重ねずにはいられない。詮無いことだとわかってはいるのだが。

「髪結い伊三次捕物余話」は、ただ宇江佐真理のライフワークだっただけではない。今でこそシリーズ作品を持つ女性時代小説家は百花繚乱だが、八〇年代までは平岩弓枝が孤軍奮闘していたジャンルである。そこに、八九年、北原亞以子の「本所深川澪通り」シリーズが登場した。そして九七年に「髪結い伊三次捕物余話」で宇江佐真理がデビューする。「髪結い」という職業を前面に出した本書は、のちに花開く「江戸お仕事小説」ジャンルの走りである。

 二〇〇〇年以降の、女性作家によるシリーズ物の時代小説の隆盛はご存知の通りだ。それは平岩弓枝が切り開き、北原亞以子が均(なら)し、宇江佐真理が一気に広げて後進を呼び込んだ道である。宇江佐真理と「髪結い伊三次捕物余話」は、現在の時代小説の、紛れもない里程標的一作なのだ。

 

 第十一作『明日のことは知らず』所収の「あやめ供養」の最後は、こんな文で締められている。

「亡くなった人を忘れないことが本当の供養なのだと、伊三次はこの頃、つくづく思うようになった」

 この言葉をあらためて噛みしめている。「髪結い伊三次捕物余話」は本書を入れてあと三作。一編一編をゆっくり楽しんでいただきたい。ときにはシリーズの最初に戻って、血気盛んだった伊三次や意地っ張りのお文、ヨチヨチ歩きの伊与太に再会するのもいい。九兵衛が伊三次の弟子になった経緯や、茜が生まれたときの喜びをもう一度味わうのもいい。

 宇江佐さんはもういなくても、本を開けば、彼らはそこにいつでもいてくれる。こうして遺された作品がある限り、読み続ける限り、読者は宇江佐真理を忘れない。それが本当の供養なのだ。

昨日のまこと、今日のうそ 髪結い伊三次捕物余話
宇江佐真理・著

定価:本体570円+税 発売日:2016年12月01日

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