不倫とは何なのだろう、と考えさせられた。
『びいどろの火』で描かれるのは、名古屋の富商に嫁いだ佐登の不倫だが、行間からそこはかとない美しさが香りとなって立ち昇る。
武家の娘とはいえ、佐登は複雑な立場だった。尾張徳川家の御深井丸番(おふけまるばん)同心、加藤弥左衛門の先代が奉公人に手をつけて産ませた娘だ。今の弥左衛門は先代の妻の甥だから血の繋がりはない。
幼いころ母を亡くした佐登は、弥左衛門夫婦に育てられた。
弥左衛門の子、市之進、波留とは、実の姉であるように心情を通わせているが、自分の立場を思えば、遠慮がちにひっそりと生きるしかないと思い定めていた。
佐登はふとしたことで知り合った呉服商菱屋善兵衛に見込まれ、若主人の善吉の女房になる。
百石の侍の家で肩身狭く暮らすより、大店の内儀になるのがどれほど幸運であることか。
佐登は戸惑いつつも新しい生活に足を踏み出した。だが、思いがけない障壁が現れる。善吉は佐登と夫婦の交わりをしないのだ。
善吉は佐登の笑顔に心惹かれている。だが、佐登にふれることができない。
善吉には誰にも言えない秘密があった。心の疵(きず)が、ひとの肌にふれることを拒ませていた。善吉の悲しみのわけを佐登は知ることができず思い惑う。
一緒に暮らしているだけでわかりあえるほど、男と女は器用にできていない。
何を美しいと思い、何を喜びとするのか、そしてどのような悲しみを抱いているのか。ひとは、わからないと思えば思うほど、相手をより深く見つめようとする。
「他に好きな女がいるのだ、お前など形だけの嫁でしかない」と罵られた方が、むしろ救われるが、善吉はやさしい笑顔を向けてくるだけだ。
だから心が彷徨(さまよ)ってしまう。
医学の修行で京へ行った市之進からもらって、お守り代わりにしている〈びいどろ〉を陽にかざし、戯れに陽光を掌に受けてみた。
熱い。灼熱が佐登の体を貫いた。