何かを書いて人にうける快感
――奥田さんが小説家になろうと思われたきっかけは。
奥田 コピーライターを始めたのが物を書くきっかけです。最初に広告代理店に入ったときはデザイナー見習だったのですが、何か書いてみろと言われて書いてみたら、面白い面白いと言われて、それが快感だった。だから、それなりに小説も読みましたけど、文学的素養って、あまりないと思います。何か書いて人にうけたい、という思いからですね。ましてや今はノンフィクション系ばかりで、小説はほとんど読みません。
――音楽評論家になりたい、という時期もおありだったようですが。
奥田 中学生のときからロック少年で、もう高校生の頃には東京に行って音楽評論家になるんだ、と思っていましたね。実際に二十代の初めの頃は業界周辺をうろうろしていたし、FM雑誌などでもレコード評を書いていました。
――小説デビュー作『ウランバーナの森』は、小説を書くならああいう音楽に関連したジャンルにしてみよう、というのはあったのでしょうか。
奥田 あのときはね、とにかく作家になろうと思っていたんです。何を書こうかというときに、自分が一番得意なものを書こうと。あれはね、久世光彦さんの『一九三四年冬―乱歩』にインスパイアされたんですよ。実在の人物を使えばいいのだ、と。あれは乱歩が行方をくらまして、その間の架空の話でしょ。だったら、ジョン・レノンは殺される前年のひと夏、軽井沢にいたのは事実だから、その間を架空の話にして書こうと。当時はまったく理解されなかったですけどね。
――奥田さんは生まれも育ちも岐阜ですか。
奥田 そうです。普通の地方都市で、普通に育ちましたけど、十四、五歳の頃からこの町を出ようと思っていました。東京に出てきたのは十八歳のとき。
――出ようと思われたのは。
奥田 音楽評論家になりたかったから。エリック・クラプトンもボブ・ディランも来ないようなこんなところに、なんで住んでいられるんだ、と(笑)。話題の映画だって全然来ない。
――東京で初めて住んだ場所はどこですか。
奥田 白山(はくさん、文京区)です。武道館も後楽園球場も近かったし。
――中日ドラゴンズのファンというのは、岐阜にいた頃からずっと。
奥田 ええ。東京に来てからいっそう熱が上がりました。
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