書評

日本人作家が書いた沖縄をテーマとする小説でいちばん好きな作品

文: 佐藤 優 (作家)

『太陽の棘』 (原田マハ 著)

 沖縄人にとって文化は、命と同じくらいたいせつだ。文化的なアイデンティティを失ってしまうと、沖縄人は沖縄人でなくなってしまうからだ。『太陽の棘』の中で、それがよく現れているのが以下の場面だ。

 

〈私は、顔を上げて、横たわるヒガの背後に張り巡らしてある画面をもう一度見た。

 なんという、不吉な絵だろうか。

 暗闇の中に浮かび上がる幾多の白い顔。空洞のような真っ黒い目が、いっせいにこちらをみつめている。物言わぬ視線が、じわじわと圧倒してくる。私は、息苦しくなって、思わず目を逸らした。

「なぜ、こんな絵を描くんだろうか、彼は」

 私は、タイラに問うた。

「絵を買うのは、僕ら軍の人間だろう? こんな暗い絵、誰も欲しがらないよ。君や、ほかの画家たちが描いているような、きれいで、明るくて、故郷への手みやげにもちょうどいいと思えるような絵でなくちゃ……」

 突然、タイラが立ち上がった。私は、ぎくりとして、彼を見上げた。

 タイラは、私をじっと見据えていた。いつもの好奇心に満ちた目ではなかった。冷たく燃える怒りの炎を宿した目だった。

「……帰ってくれ」

 タイラが言った。冷えびえとした声だった。

「仲間を侮辱するやつは、誰であれ、許さない。いや、あんたは……ヒガを侮辱しただけじゃない。“おれたちが信じているもの”を、侮辱したんだ」

「タイラ、待てよ。落ち着いてくれ」私は、戸惑いながら立ち上がった。

「僕は、君の仲間を侮辱しようだなんて、これっぽっちも思っていないよ。ただ……生きていくためには、売れる絵を描くのは仕方がないことだろう? 買い手に望まれるものを提供するのは、あたりまえの話じゃないか。だから……」

「黙れっ!」タイラが叫んだ。

「黙れ、黙れ、黙れ! 知ったようなことを言いやがって! おれが……おれたちが、どんなに苦しんで描いてるのか、知らないくせに!」

 タイラは、床に転がっていた酒壺のひとつを取り上げると、壁に向かって投げつけた。〉(123~124頁)

 

 日本における圧倒的少数派である沖縄人は忍耐強い。理不尽な状況に直面してもぐっと堪(こら)える。しかし、ある一線を越えると爆発する。ウィルソンには、タイラやヒガが沖縄戦で同胞が蒙った苦難を追体験するために沖縄に戻ってきたということがわからないのだ。ヒガが描く「暗闇の中に浮かび上がる幾多の白い顔。空洞のような真っ黒い目が、いっせいにこちらをみつめている。物言わぬ視線」は、沖縄人のアメリカ人と日本人に対する思いを端的に表しているのだ。こんな単純なことがウィルソンにはわからない。

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太陽の棘原田マハ

定価:本体640円+税発売日:2016年11月10日


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