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叙事詩に昇華した武将の生涯

叙事詩に昇華した武将の生涯

文:島内 景二 (国文学者・文芸評論家)

『越前宰相秀康』 (梓澤要 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 秀康には、三人の父がいた。だから秀康は、「子」として三つの顔を持たされた。彼の心は、三つに分裂させられた。自分は、いったい何者なのか。もしも自分が「父の子」だとしたら、その「父」とは誰なのか。父が定まらなければ、子である自分の輪郭も固まらない。この難問の解答を得ようとして苦しむ秀康。アイデンティティの探求に、彼の一生は費やされた。

 家康の長男・松平信康(岡崎三郎)は、織田信長の要求により、満二十歳で自刃した。だが、次男の秀康には父・家康の愛は薄かった。その理由の一つは、秀康が「双子」だったことである。当時の武家には、双子は父親を克(こく)するという迷信があった。

 双子であるゆえに、秀康は父から忌避された。名前さえなかなか付けてもらえず、「子」という居場所が、与えられなかった。その秀康の「自分」という存在も、双子の片割れ(永見太郎兵衛貞愛)と合わせて「一」になるのであるから、秀康という人間は二分割されて「二分の一」となる。一人は武将として、一人は神官として生きるという、役割分担がなされた。

「父の子」として三分割され、「双子」の片割れとして二分割された秀康。秀康の「自分」は、六分の一になってしまった。どうやって、秀康は「本当の自分=一」を発見し、「より大きな自分」への脱皮が可能となるのだろうか。

 だが、どんなに自己実現を遂げたとしても、秀康は三十四歳で死ぬ宿命にある。それが、史実である。だから、この小説のテーマは、「秀康は何者として死んでいったか」、という一点に収斂する。自分捜しを終えた瞬間に、叙事詩の主人公は逝去する運命にある。

 第八章の「越前の春」で、秀康の死が語られる。まず、秀康の双子の弟が、兄の秀康よりも先に死去する。弟は、出産時に足に障害を生じていた。その彼が、兄の秀康と、母のお万に語る言葉が、心に沁みる。

《「そう思った瞬間、なにもかも受け入れることができました。この足萎えも、どうにもならぬ病弱も、すべて理由があったのだ、そう思うと、わが身を呪う気持は消え失せました」》

 世界をあるがままに受け入れる。これほど、困難なことはない。不如意に満ちた世界なればこそ、人間はそれを受け入れられずに苦しむ。死を含む悲劇の受容。これほど、叙事詩にふさわしいテーマはない。

 越前藩を任された秀康も、やっと自分捜しを終えようとしていた。彼は、父の子ではなく、自分自身として、新たに生き直そうと決心したのだ。

《「それより、世人は当家を武家の高野(こうや)と称しておるそうじゃぞ。高野山は相戦って命のやりとりをした敵味方が、皆ひとしく弘法大師のもとに集い、墓所を並べておる。(中略)だから、当家に参集した者たちは皆、かつての遺恨も因縁もすべてうち捨て、ここでともに生き直す。もう一度、新たに生き直すのだ」》

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越前宰相秀康
梓澤 要・著

定価:750円+税 発売日:2013年11月08日

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