- 2016.09.24
- 書評
グローバリゼーションに耐えられなくなった英米社会――トランプ旋風と英国
文:編集部
『問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論』 (エマニュエル・トッド 著/堀茂樹 訳)
ジャンル :
#ノンフィクション
トッド氏には、研究生活の前半の集大成である『世界の多様性』〔荻野文隆訳、藤原書店〕と「アラブの春」を予言した『文明の接近』〔石崎晴己訳、藤原書店〕という、書名だけを見れば、一見矛盾しているかのような著作があり、こうした二つの方向の研究が互いにどう関連しているのかを知りたかったのである。この点は、トッド氏の長年の読者にとっても、気になるところではないだろうか。
ちなみに日本では、『世界の多様性』は書評等でも高く評価されたが、『文明の接近』の方は戸惑う読者が比較的多かったようだ。おそらく、「識字化、出生率の低下を通じての人類の普遍的発展」という人口学者としての立場が、「文化の独自性を否定する普遍主義」と受け止められたからだと思われる。他方、『世界の多様性』だけを読んだ読者は、トッド氏を「文化相対主義者」だと判断するかもしれない。
しかし、トッド氏は、「私の研究は、対立する二つの考え方の対話=緊張の間にあります。一つはイギリス型の文化相対主義で、もう一つはフランス型の普遍主義です」〔108頁〕と述べているように、単純な「文化相対主義者」でも単純な「普遍主義者」でもない。この点は第3章で詳しく論じられている。
本書は、全体として、ネオリベラリズムおよびグローバリズムの言説に抵抗する本と言えるが、その抵抗は現実の国家や経済の問題に限られるものではない。ネオリベラリズムは、「それ自体として反国家の思想であるだけでなく、国家についての思考を著しく衰退させ」〔135~136頁〕、「社会科学と歴史的考察を荒廃させ」〔8頁〕、「今日、アメリカの学問は完全に経済学中心となり、単純な『ホモ・エコノミクス』のモデルを世界中に適用しようとして」おり、「左派・右派を問わず、フリードマンにしろ、スティグリッツにしろ、クルーグマンにしろ、経済学モデルですべてを説明しようとする」「実に貧しいものの見方」〔138頁〕である。トッド氏によれば、このような知の荒廃こそ、ネオリベラリズムの最大の罪なのである。
知的なレベルでの経済(学)至上主義が、われわれの知を貧しくし、われわれは危機を前にしても何ら対策を取れずにいる。経済(学)至上主義とは、知的ニヒリズムにほかならず、知的エリートの無責任さ、怠惰の証しだ。そうであれば、「グローバリズムの終焉」は、「知的ニヒリズムとしての経済(学)至上主義からの脱却」でなければならない。これが本書を通じてのトッド氏の究極のメッセージと思われる。
今日、「移民」「ポピュリズム」「国家」といった問題は、極論同士がぶつかり合う厄介なテーマだが、こうした問題に対し、トッド氏は、常にリーズナブルな立場を保とうとしている。「国家」の役割を再評価し、国境の最低限の保全を主張するからといって、狭隘なナショナリストではなく、「移民」の権利を擁護するからといって移民の無制限な受け入れを支持するわけではなく、大衆の民意を尊重するからといって民衆礼賛のポピュリストではなく、エリートの役割を重視するからといって傲慢なエリート主義者ではない。
このようなトッド氏の現実問題に対する姿勢には、単線的にではなく、歴史を多次元的に見る「歴史家トッド」のまなざしが反映されているように思う。
(「編集後記」より)
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