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『真夜中の相棒』解説

『真夜中の相棒』解説

文:池上 冬樹 (文芸評論家)

『真夜中の相棒』 (テリー・ホワイト 著 小菅正夫 訳)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『真夜中の相棒』を読んでいると、人物たちの不安で、孤独で、寂しいありようが、しんしんと伝わってくる。生きがたく、不器用で、ねじれたまま、何かしら流されていくしかない人生の混沌とした手触りが、たまらなくいとおしく感じられてくるのである。もちろんミステリであり、殺し屋たちの生き残りと刑事の追及がどのような結果をもたらすのかも興味をそそるし、ゲイの文脈に関心のある人たちには“萌える”ポイントがいくつもあるだろうけれど、いま読み返すと、逼迫した状況のなかで怒りと苦痛と孤独を感じて生きる者たちの愛を希求する物語として、実に力強い。いつの時代にも“現代性”をもつのが“名作”の条件かと思うが、『真夜中の相棒』もまた、その例にもれないだろう。ぜひ名作を味わっていただきたいと思う。


 さて、以下は余談になる。小説のなかでジョニーは映画やテレビを熱心に見ている。戦場で傷ついた神経を休めるには古い映画やテレビドラマが最適なのかと思うが、作者はさりげなく、映画やドラマを通してジョニーの心理を語らせている。煩雑にならない程度に、要所に出てくる作品を紹介したい。

 まず、ジョニーがマックの復讐に乗り込むときに、拳銃をベルトにはさんで、“スティーヴ・マクギャレットみたいだと思った。あるいはマット・ディロンみたいだと”(一〇六頁)なぞらえる場面があるが、二人ともテレビドラマのヒーローである。スティーヴ・マクギャレットは、一九六八年から八〇年まで続いた『ハワイ5.O(ファイブ・オー)』でジャック・ロードが演じたハワイ州知事直属の特別捜査班のリーダー。マット・ディロンも、テレビの西部劇『ガンスモーク』(一九五五年から七五年までの二十シーズン続いた西部劇最長テレビドラマ)でジェームズ・アーネスが演じた保安官の名前である。この二人の名前からもわかるように、ジョニーにとっては正義の遂行である。


“この前、テレビのインタヴュー番組で鬼警部のアイアンサイドを見たんだけど、車椅子なんかに乗ってませんでした”(一七一頁)は、半身不随で車椅子に乗った刑事アイアンサイドのことである。テレビドラマ『アイアンサイド』は、一九六七年から七五年まで制作された刑事ドラマで、日本では『鬼警部アイアンサイド』として放映された(実に面白い刑事ドラマだった)。ジョニーの台詞にはハンディキャップをもったヒーローへの憧れがある。肉体と精神の障害の違いはあれ、同類意識をもっていたのだろう。

 マックとジョニーの関係が落ち着いたときに出てくるのが、ハンフリー・ボガートの映画である。“ボガートです。例のトラック運転手のやつ”(一九一頁)とあるのは、『夜までドライブ』(一九四〇年。監督ラオール・ウォルシュ。主演ジョージ・ラフト)。長距離運転手の兄弟(ラフトが兄、ボガートが弟)が居眠り運転で事故を起こし、やがて殺人事件に巻き込まれる話で、その過程で兄と弟が自ら愛する者とつながりを確かめる。これはジョニーの充たされた精神状況の表れでもあるだろう。それはマックも同じで、ヴェトナムの戦場から“六年の歳月を経て、彼はジョニーに慣れっこになっていた”(一九五頁)とある。マックは四十一歳、ジョニーは三十三歳になっている。


 第一部の最後、“ゆうべはいい映画を見ましたよ”(二〇九頁)とジョニーが語るのは『荒野のストレンジャー』(一九七二年。監督・主演クリント・イーストウッド)だろう。町の人々に見殺しにされた保安官の霊が流れ者(イーストウッド)に憑依したような形で、無法者たちを次々に殺していく。流れ者は決して清廉潔白ではなく、因縁をつける男たちを殺したり、女を無理やりものにしたりするが、無法者を倒す正義の男でもある。殺しの仕事を次々にこなして、正義も不正義も悪もないジョニーには、自己を投影できる、ある種の屈折したヒーローに見えたのかもしれない。


“彼は《マッシュ》を見ながら、モーテルの部屋に坐ってマックがハンバーガーを買って戻ってくるのを待っていた”(三四九頁)。『MASH』(一九七〇年。監督ロバート・アルトマン)は朝鮮戦争時の米軍の野戦病院を舞台にしたブラック・コメディで、後にテレビドラマ化された。おそらくテレビドラマ版だろう(放映は一九七二年から八三年まで)。舞台が朝鮮戦争とはいえ(ヴェトナム戦争の寓意ともいわれた)、戦場で神経症を患った男が戦争のドラマを楽しめるほどに気分が安定したということか。


 新たな殺しの仕事が入り、待機しているときに、ジョニーは、“ランドルフ・スコットの映画を見ていた”(三八九頁)。これは『昼下りの決斗』(一九六二年。監督サム・ペキンパー)のことだろう。友情で結ばれた二人の男が金塊を輸送する仕事を引き受けて悪党たちと戦い……という話である。タイトルをあげないのは、物語の結末の伏線となってしまうからだろう。


 作者のテリー・ホワイトは一九四六年カンザス州トピーカ生まれ。いくつかのカレッジを中退して、ソーダファウンテンの売り子、ウェイトレス、ファイル整理係などを経て、一九八二年に『真夜中の相棒』で作家デビューを果たした。そのあとも異常性格でゲイの殺人者と刑事の戦いを描く『刑事コワルスキーの夏』(八四年)、ヴェトナム帰りの奇妙な友情に結ばれた三人の男が破滅への道をたどるコワルスキー刑事ものの第二弾『リトル・サイゴンの弾痕』(八六年)、引退を決意した殺し屋と彼を追及する刑事の物語『殺し屋マックスと向う見ず野郎』(八七年)、元刑事と元泥棒、そして強奪計画を練る元ムショ仲間が交錯する『悪い奴は友を選ぶ』(八八年)、家出した少年が殺し屋と出会う『木曜日の子供』(九一年)を発表している。

 そのほかには、スティーヴン・ルイス名義で、ゲイの私立探偵ジェイク・リーバーマンを主人公にした『カウボーイ・ブルース』(未訳。一九八五年)があるのが判明しているが、それ以外の著作は不明である。

 本書『真夜中の相棒』が気に入ったなら、本書と同じくヴェトナム戦争と同性愛的雰囲気の濃厚な『刑事コワルスキーの夏』『リトル・サイゴンの弾痕』がお薦めである。コミカルな味わいを示す『殺し屋マックスと向う見ず野郎』『悪い奴は友を選ぶ』も意外とのびやかで愉しいし、微妙に屈折した男たちの孤独の軌跡が交わるときに生まれる“束の間の火花のような心理劇”(村松潔)というホワイトらしさのある『木曜日の子供』も悪くない。

 なお、『真夜中の相棒』は一九九四年にフランスで映画化されている。原題 REGARDELES HOMMES TOMBER(「堕ちていく男たちを見ろ」)で、邦題は『天使が隣で眠る夜』。監督はジャック・オーディアール。ある殺人事件を契機に、賭博師のマルクス(ジャン=ルイ・トランティニャン)と青年ジョニー(マチュー・カソヴィッツ)の行方を初老のセールスマン(ジャン・イアンヌ)が追跡するという物語である。

 また『殺し屋マックスと向う見ず野郎』も、その二年前の一九九二年に映画化されている。原題MAX & JEREMIE、邦題『危険な友情 マックス&ジェレミー』で、メガホンをとったのは女性監督のクレール・ドヴェール。主演はフィリップ・ノワレとクリストファー・ランバートである。

文春文庫
真夜中の相棒
テリー・ホワイト 小菅正夫

定価:869円(税込)発売日:2014年04月10日

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