- 2014.12.10
- 書評
【史上初! 6冠記念クロスレビュー】警察小説のダークホース フランスより登場!
文:三橋 曉 (ミステリ評論家)
『その女アレックス』 (ピエール・ルメートル 著/橘明美 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
『この女アレックス』が海外ミステリ史上初の6冠を達成! 「このミステリーがすごい!」や「週刊文春ミステリーベスト10」など、日本のミステリ・ランキング4つを全制覇。本国フランスでも、英訳刊行されたイギリスでも高く評価され、賞を受けています。 驚愕の展開と、最後に明らかになる痛ましくも悲しい真実。しかし、「いったいどんな話なのか?」は語ることができません。なぜなら、101ページ目以降の展開にふれるとネタバレになってしまうからです。 そんな書評家泣かせの作品に、4人の読書通が挑みます。国内ミステリ・ランキング全制覇と6冠を記念してお贈りする「クロス・レビュー」。この傑作の多面的な魅力をお楽しみください。
ことミステリに関していうなら、イギリスはフランスに恋をしているのではないか。というのも、伝統を誇る英国推理作家協会(CWA)は、2006年に“インターナショナル・ダガー賞”を新たに設け、非英語圏の作品に門戸を大きく広げたが、以来これまで賞を授けられた延べ10人のうち、その過半数をフランス人作家が占めている。この贔屓ぶりは、恋心を疑われても仕方ないだろう。2013年の受賞者ピエール・ルメートルもその1人だ。
しかし、ルメートルの受賞作『その女アレックス』に、恋という言葉はそぐわない。パリの街中で買い物を楽しむ1人の美女をストーカーのようにつけまわし、ついには拉致してしまう中年の男。彼は女を脱出不能の場所に閉じ込め、おぞましい虐待を繰り返す。怖気を震ういきなりのそんな展開に、恐れ慄く読者も多いことだろう。状況説明がないまま目隠しされた状態で、ヒロインの想像を絶する苦痛を追体験させられるのだから。
だが賢明なる読者諸氏は、この時点ですでに自身が作者の術中に嵌まり、強力な謎に心を絡めとられていることに気づくに違いない。その謎とはすなわち、男を狂った行動に駆り立てる動機とは何か? そして、苦しみにあえぎながらも、脱出の機会を窺うこの強靭な心の持ち主アレックスという謎の女は、いったい何者なのか?
ページをめくるたび心拍数があがる冒頭からの展開の中には、さらに作者が得意にしていると思しい語りのマジックも仕組まれている。何気なく描写されていくアレックスの心の動きや、拉致男の顔に浮かぶ一瞬の表情までもが、作者の巧妙な企みであったことをやがて読者は悟り、驚愕する。
読者を眩惑することにかけて作者の手管が相当のものであることは、先に紹介された『死のドレスを花婿に』(2009年)のネガがポジに反転するような思い切った構成で既におなじみだが、本作においても現在と過去を行き来しながら、物語は刻一刻とその佇まいを変えていく。ミステリ界のご意見番オットー・ペンズラーが付けた「近年でもっとも独創的な犯罪小説」という折り紙は、決して伊達ではない。
作者紹介によれば、この作品はパリ警視庁犯罪捜査部のカミーユ・ヴェルーヴェン警部を主人公としたシリーズの第2作にあたるようだが(第1作は未紹介)、警察小説としてもその出来映えは出色である。捜査陣の要である警部のカミーユは、癇癪を破裂させたかと思うと、自分に自信が持てずに落ち込むという周囲には扱い辛い人物だが、捜査官としては優秀で、閃きと持ち前の粘り強さで自らの捜査班を率いる。並外れて小柄な身体的コンプレックスもご愛嬌だ。
4年前に事件に巻き込まれた妻を失うという悲運に見舞われ、それが仕事においても私生活においても大きなブレーキになっているが、この難事件との取り組みを通して、これまで果たせなかった自己再生の道を彼は歩み始める。また亡き母親との確執をめぐり、遺産の絵画にまつわるささやかな謎が物語の最後に解き明かされるカタルシスは見事で、そこに絡む部下との間の印象的なエピソードとも相俟って、じんわりと心にしみる。
このように警察官の個々を濃やかに描く一方、ひとりの人間の人生を地獄に変えたデモーニッシュな一部始終を暴いていく組織的捜査の面白さまで、警察小説としての仕上がりは堂々たるものといっていい。かつては〈87分署〉のお膝元アメリカや、社会派マルティン・ベック・シリーズを生んだスウェーデン(そして北欧)のお家芸という印象の強かった警察小説だが、意外なところにダークホースが潜んでいたものだ。大胆かつショッキングな幕開きから、賛否両論必至の幕切れまで、ミステリというジャンル小説のスリルを極限まで追求した注目作だと思う。
『その女アレックス』ミステリ評論の第一人者4名による読み比べ
・大矢博子「ドラマとしても超一流」
・千街晶之「最前線のフランス・ミステリ」
・瀧井朝世「拒絶するアレックス」
・三橋曉「警察小説のダークホース フランスより登場!」
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