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時を越えて読み継がれていく魅力

時を越えて読み継がれていく魅力

文:皆川 博子 (作家)

『私の男』 (桜庭一樹 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 冒頭から、淳悟と花のかかわりがただならぬものであることを、作者は明かしている。喪失の痛烈な悲哀を、淳悟はノンシャランな仮面で隠す。

 若くて思慮の浅いキャサリンは、身分の低いヒースクリフと結婚して自分まで落ちぶれるのは嫌だ、という単純な理由で、見た目がハンサムで若くて陽気で、しかも将来は金持ちになることが確約されているエドガーと結婚する。

 花は、〈いままでのどうしようもなく暗い生活から、なんとかして抜けだし〉たく、取り返しのつくうちにたしかな幸せをつかみたくて、〈きちんとした相手〉と結婚する。

 しかし、キャサリンは自分がヒースクリフと一つの魂であり彼なしでは生きていられないことを自覚している。「わたしがヒースクリフを愛しているのは(略)ヒースクリフがわたし以上にわたしだからなの。魂が何でできているか知らないけど、ヒースクリフとわたしの魂は同じ」(河島弘美訳)

 花の魂もまた、淳悟の魂と絶望的なまでに絡み合い、花はそれを知っている。二人を一つにしているのは、肉の欲望ばかりではない。存在そのものが分かちようもなく一つになってしまっている。

 平成の子である花は、十九世紀の娘のような直情的な──いささか気恥ずかしいほどの──言葉は口にしない。

 新婚旅行でおとずれた南太平洋の観光客用コテージで、エメラルド色の明るい海を見ながら、花はつぶやく。「南太平洋って(略)確かにきれいだし、すごく素敵だけど(略)どことなく、ばかみたいな海よね」そう口にしたとき、花は、淳悟と過ごした北の青黒い海を思っている。〈こんな明るい場所にじっと座っていると、わたしのわたしそのものである部分(略)魂の部分が、ゆったりと死んで、震えながら急速に腐って行くようにも感じられた〉。北の海は、花にとってのヒースの荒野であろう。

 全体は六章からなり、章が変わるごとに時代は過去にさかのぼる。視点もその都度、花、その結婚相手、淳悟その人、ふたたび花……というふうに移る。花と淳悟の、俗世の掟も道徳も破壊するかかわりが、他者の目にはどう映っていたか、二人にとってはどういうものであったか、が、次第に明らかになっていく。他者の視点もまじえたことで、物語は厚みを増している。

 最終章、震災で一人きりになった九歳の花の手と、自分の生のすべてを花を護ることに費やすと心に決した二十五歳の青年淳悟の手が、固く握りあわされる。

 終章から二人の生をたどりなおした読者は、作者が語らない第一章の、花と淳悟のその先を、読み取るだろう。おそらく、共感を持って。

私の男
桜庭一樹・著

定価:本体670円+税 発売日:2010年04月09日

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