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猫大好き。天才絵師・国芳ってどんな人?

猫大好き。天才絵師・国芳ってどんな人?

文:金子 信久 (府中市美術館学芸員)

『歌川国芳猫づくし』 (風野真知雄 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 それから十年。『歌川国芳猫づくし』は、国芳も五十代の半ば、円熟期を迎えていたその頃の話である。風紀の取り締まりは依然続いていたが、物語はまず、駆け出しの下っ引き、松吉との出会いから始まる。国芳の「浮世又平名画奇特(うきよまたへいめいがのきどく)」という絵が、これまたお上を揶揄したと疑われ発禁となり、お上の密偵である松吉につきまとわれることになるのである。国芳は、まだ右も左も分からず背伸びする松吉を見下しながらも、奥底では彼の若さに親しみを抱く。かといって絶対に油断できない相手である。親しさと緊張感の入り混じった、一筋縄ではいかない松吉との関係は、国芳の人間みと世間的な立ち位置という、全編にわたってこの物語を支える大きな構図を、読み手に無意識のうちに感じ取らせてくれる。

 物語の中心は、もちろん国芳その人の心だろう。妻のおせい、同居する義母おやすとの複雑な関係や、弟子のおさよに抱く初心(うぶ)な、しかし、あるまじき欲求などが、さまざまなエピソードの間を縫うように、あるいは、ときに正面から描かれる。

 また、実在した人物の、いわば豪華なゲストの出演も、歴史小説の醍醐味である。

「高い塔の女」に登場するのは、葛飾北斎(かつしかほくさい)の娘、お栄(えい)。すなわち絵師の応為(おうい)である。飯島虚心(いいじまきょしん)という明治時代の学者が書いた『葛飾北斎伝』に、北斎が、美人画にかけては自分よりお栄のほうが上だと語ったとある。また、男のような性格だったとか、我が道を行くといった感じのエピソードも伝えられている。それゆえ、数々の小説の題材にもなり、北斎の作品の中にお栄が描いたものがあるのではと考える学者もいるほどである。

 近代以降、一人の人間の「個性」や「創作性」にこそ孤高の価値があるという考えが浸透した。ただしそれは、北斎やお栄がせっせと描いていた頃の価値の物差しではない。たとえ、いわば家業として技量をもったお栄が父の手伝いや代作をしていたとしても、単純に断罪できるようなことではないだろう。むしろ、絵師のところに嫁いだものの、夫の絵の拙(つたな)さを笑って離縁され、出戻って、父が九十歳で亡くなるまでともに暮らし、絵を描いたと伝えられるお栄の心中を想像すると、時代を超えて心を寄せずにはいられない。そんなお栄への夢想にも近い思いが、一つの確かな物語となり、情景となって、私たちの前に現れる。

「からんころん」の重要人物は、伸び悩む噺家の小円太と、若くして才能を認められ絵師の道まっしぐらの月岡芳年(つきおかよしとし)という、同い年の青年二人である。小円太は、のちに怪談噺の名手として知られる三遊亭円朝。男に恋いこがれて死んだお露が、幽霊となって夜な夜な下駄の音をさせて通って来る、あの美しい怪談「牡丹灯籠」を創作することとなる円朝の、音をめぐる感性と想像力。そして、いかにも骨太の造形をみせる国芳とは違って、繊細すぎるほど繊細、かつ生々しい感覚で、凄惨なものを描いて人気を得た芳年の、将来を予見させるような話である。不可解なこの物語の謎解きは、国芳の、そして読者の想像に委ねられるのだが、彼らを見守る国芳の目は、頼もしい未来に向けられているようで、私たちの心にも爽やかな風が通り抜ける。

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文春文庫
歌川国芳猫づくし
風野真知雄

定価:759円(税込)発売日:2016年08月04日

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