さて、『歌川国芳猫づくし』で、人にはできない役目を果たしているのが、猫である。
国芳が本当に猫が好きだったことには、いくつもの証拠がある。飯島虚心の『浮世絵師歌川列伝』には、常に五、六匹飼っていて、絵筆をとる時にも一、二匹の子猫を懐に入れ、ときには懐の中の子猫に物語をして聞かせるといった話や、最愛の大猫が行方知れずになった時の国芳の愁傷が甚だ深いものだった話が紹介されている。また、明治三十六年八月六日の『都新聞』には、新井芳宗(あらいよしむね)という画家がこんなことを書いている。国芳の弟子だった父から聞いた話である。ある時、国芳が愛していた猫が死に、父は、深川の寺へ納めてくるよう頼まれた。ところが、若かった父は「馬鹿馬鹿しい」と思って、永代橋の上から川へ捨て、御経料として預かったお金も遊興に使ってしまった。しかし、翌日国芳から戒名を聞かれ、そのことが露見、大しくじりになった。国芳は、猫が死ぬと必ず戒名をつけてもらい、別の仏壇に祀った、という。こうした文だけではない。一時期国芳に習ったことのある河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は、『暁斎画談』に国芳の画塾の図を描いているが、そこには、四匹の猫に囲まれ、一匹を懐に入れたまま身を乗り出して弟子の添削をする国芳の姿が見える。
こうした「猫好きの国芳」という史実なくして、この物語は生まれなかったわけだが、もう一つ忘れてはならないのが、作者である風野さん自身の猫への愛だろう。物語の随所に風野さんの猫好きは現れている……そう自信を持って言えるのは、私自身も猫が好きだからだが、もっと重要な客観的証拠を思い出した。
以前、『日本経済新聞』(二〇一五年三月二十九日)の「美の美」欄で、小川敦生(おがわあつお)さんが「日本人と猫絵」(上)と題して、国芳の猫の絵を取り上げた。私も、国芳のファンの一人として取材していただいたのだが、同じ記事に風野さんのインタビューがあったのである。「機嫌がいい時には勝手に膝の上に乗ってくる。かと思うと、こちらの都合や思いに関係なく降りてしまう。人間に媚を売らない。その距離感がいい……」。
そんな風野さんが命名した国芳の飼い猫の名前が、いかにも国芳がつけそうで素晴らしい。牡は、キヨマサ、クロベエ、源氏。牝は、おたか、お岩、お菊、芸者、三毛太。源氏はとにかく牝猫にもてるから、お岩とお菊は怪談の主人公の名そのままである。そして、物語の大団円、八代目市川団十郎が愛猫を思う気持ちを国芳が想像する一節は、いつのまにか作者自身の思いを正面から聞いているような気になる。
読み終えれば、さっきまで国芳や猫がそこにいたように思える。現実だったのか、夢物語だったのか。歴史小説はいいなあと、素朴だが改めて思う。
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