私は論語を愛読してきた。論語を講読する私塾も主宰してきた。この度、『現代人の論語』も上梓した。
同じような人は他にも多い。私塾までやるもの好きはそういないだろうが、論語の通釈書は本屋の棚に常時何種類も見るし、愛読書に論語を挙げる人は珍しくない。
しかし、私の論語に対する考えは、そういう人とはかなりちがう。論語を愛読する世の多くの人たちは、論語には「いいこと」が書いてあると思っている。「いいこと」が書いてあるからいい本だと思っている。しかし、私はそうは思わない。論語は「いいこと」が書いてないからいい本なのではないか。
若い頃、人生がよくわかった風の小父さん小母さんから、「いいこと」が書いてある本を薦められることが何度かあった。学生時代には、アルバイト先の親切な上司から、これを読んでみなさい、「いいこと」が書いてあるから、と、誰だかが書いた人生論の本をもらった。もちろんすぐに捨てて、アルバイト先を替えた。二十代後半には、図書館へ行く電車の中で、隣席の善良そうな中年婦人に、本がお好きなのね、と、声をかけられた。この本も読んでみて、「いいこと」が書いてあるわよ、と、新興宗教の教祖様の訓話集を渡された。彼女と隣席だったのが、座席を代われない飛行機ではなく西武線の電車であったことに、私は神の御加護を感じた。私は下落合駅まで行かず、中井駅で降りた。
中学の時、何を思ったか、聖書を買った。日曜学校へ通う美しい女子生徒が、「いいこと」が書いてあるのよ、と言っていたからかもしれない。しかし、読んでみると、聖書には「いいこと」は書いてなかった。隣人愛を説くイエスが、神殿で鳩を売っている人をぶちのめすし、自分は親と子を仲たがいさせるために来たのだと話す。あげく、十字架にかけられると、神よ、神よ、なぜ私を見捨てたのか、と叫ぶ。全然「いいこと」なんか書いてないじゃないか。私は感動し、以後、聖書もくり返し読んでいる。
論語にも「いいこと」は書かれていない。どんな風にか。
例えば、陽貨(ようか)篇にこんな話がある。
「子 曰 (のたまわ)く、飽食終日(しゅうじつ)、心を用うる所なし、難(かた)いかな」
先生(孔子)が弟子たちにおっしゃる。一日中、食っちゃ寝。精神を働かせるということがない。度(ど)し難いことだな。
「博奕(はくえき)なるものあらずや。これを為すは猶(なお)已(や)むにまされり」
先生は続ける。バクチというものがあるではないか。あれでも、何もせずにごろごろしているよりはずっといいのだ。
驚くべし。孔子は、「飽食終日」の弟子たちに、さらに、バクチをやれと薦めているのだ。
論語に「いいこと」が書いてあると思っている人は、まさかこんなことが書いてあるとは思わない。実は、彼らは論語を最後まで読んでいない。先の言葉が出ている陽貨篇は論語全二十篇の第十七篇なのである。仮に最後まで読んだとしても、「いいこと」を求めている人は、バクチで頭の体操をするという、通釈書によくある解説でなんとなく納得してしまう。しかし、ちょっと文化人類学の知識があれば、古代においてはバクチは神意を知る神聖な行為であったことがわかるだろう。I・ベルイマンの『第七の封印』に主人公が死神とチェスをするシーンがあったことを思い出していただけばいい。
雍也(ようや)篇には、こんな話もある。
「子、南子(なんし)を見る。子路(しろ)よろこばず。夫子(ふうし)これに矢(ちか)って曰(のたまわ)く、予(わ)が否(ひ)なる所のものは、天これを厭(た)たん、天これを厭たん」
孔子の故国の隣の衛(えい)の国では、王妃の南子に芳しからぬ噂があった。妖艶なのはいいが、それを通り越して奔放淫蕩なのである。美男の愛人もいる。そんな南子が、孔子に会いたいと言う。いったんは絶(ことわ)った孔子だが、二度の申し出に絶りきれず、南子と会った。剛毅な弟子、子路は、孔子が南子と会ったことが不快である。なんであんな不徳義な女と会われるのですか、というわけだ。これに対し、孔子は矢を折って誓って言う。私がまちがったことをしていたら、天が許さないだろうと。
誓う時に矢を折るのは、当時の風習で、神かけて誓うということだ。しかし、弟子の詰問に対し、師が神かけて誓って答えるだろうか。その上、「天これを厭たん、天これを厭たん」とくり返すところが、なんだかどもっているようにとれはしないか。
どうも何かあったのではないか、とするのが、司馬遷の史記であり、谷崎潤一郎の『麒麟』である。
「いいこと」を求めずに読んでみると、論語は本当はすこぶる面白いのである。