※単行本刊行時2011年の記事です。
──今、渋沢栄一がブームになっています。
鹿島 バブルが崩壊し、景気が悪くなると渋沢は、必ず注目されますが、そういうときは、「論語と算盤」という言葉で象徴される禁欲の部分が強調されます。しかし、これはある種の誤解だと思います。渋沢は決して禁欲一辺倒の人ではないんです。本当に禁欲だったら実業家にはならないですからね。
彼は人間の欲望を肯定した上で、「どこかで歯止めをかけなければいけない」と常に考えていました。これは経済においても同じ。「損して得取れ」とは、よく言ったもので、歯止めをかけることで、儲けは永続的になるものなんです。
──なぜ、『論語』を規範にしようとしたのでしょうか。
鹿島 海外の実業家と付き合うなかで、バックボーンには聖書があることに気付きました。彼らは、儲け過ぎにどこかで歯止めをかけ、寄付をするというメンタリティーが、自然と身についていた。日本にも同じようなものがあるはず、ということで小さい頃から読んできた『論語』を読み直すことにしたんです。
──渋沢は、どのような青年時代を送ったのでしょうか。
鹿島 彼が晩年まで、繰り返し語った象徴的なエピソードがあります。あるとき代官に呼び出され、父の代わりに出かけました。そこで代官から、「今度、姫様が嫁入りだから金を出せ」と命令される。しかし「自分は代理だから話を持ち帰りたい」と渋沢は即答を避けました。代官は怒って、「こういうときはつべこべ言わずに金を出すものだ」と、渋沢に言ったそうです。
これは、江戸時代のルールではちっとも間違っていない。武士に言われれば、金を差し出すのが普通なんです。ところが、渋沢は違った。それに激怒して、こんな理不尽がまかり通る世の中はおかしいと思うようになってしまったのです。
──その後、渋沢は、思いがけず最後の将軍・徳川慶喜に仕える武士となり、運命のパリ留学に出かけます。
鹿島 慶喜の弟、徳川昭武(あきたけ)に同行したパリ万博で衝撃的な光景を目撃しました。それは、一行の案内役だった銀行家のフリュリ=エラールと軍人のヴィレット、渋沢に言わせれば商人と武士が対等に話をしている姿でした。他の同行者は、まったく関心を持たなかったようですが、渋沢は、天地がひっくり返るほどの大ショックを受けてしまうんです。
彼はこれこそが、理想の「平等社会」だと確信します。この光景を日本でも実現するために、商人を育てて、発言力を高める必要があると考えるようになったのです。
──「商業」が平等社会への近道と考えたわけですね。
鹿島 イギリス革命もフランス革命も、商人や町人たちによる「自分の欲望を拡大する」革命でした。しかし、明治維新は、武士たちの「禁欲」革命です。ですから新政府の高官たちは、商人や金を下に見る傾向にありました。江戸の武家政権と何もかわらないと、渋沢が考えたのも無理はありません。
だからこそ、商人の力を蓄えるために奔走するのです。まず平等を実現するための装置として「株式会社」を作ります。これは当時としては画期的なシステムです。片方に金はないけどアイディアのある人間がいる、もう一方に金はあるが、アイディアのない人間がいる。この二人が一緒に事業をすることで、偉大な産業を作り出すことができる。そう考えたのです。
──この評伝では、「論語と算盤」という従来の渋沢像に、「サン=シモン主義」という新しい光をあてています。サン=シモン主義とは、どのような考え方なのでしょうか。
鹿島 私流に解釈すると、産業の基盤がないところに、外部注入的に資本主義を植え付けてしまうことです。渋沢が明治期に行ったのが、まさにこれそのもの。この本を書くきっかけになったのも、この関係に気付いたからです。渋沢が、パリに留学したことは知っていましたが、あるとき、その業績をざっと見渡してみると、「サン=シモン主義」そっくりなことがわかり、大変驚きました。
日本の近代資本主義の最大の謎は、なぜ日本に資本主義が根付いたかというところにあります。さまざまな説がありますが、日本の近代資本主義は、渋沢の行ったサン=シモン主義的活動に始まると言い切ってもいい。
──渋沢は生涯で五百くらいの会社にかかわったといわれます。
鹿島 手広く事業を行いましたが、渋沢最大のヒット商品は、「誠実第一」でしょう。近代デパートを発明したブシコー夫妻もそうですが、近代商業というのは「誠実こそが、一番売れる商品」ということを発見する過程でもあります。誠実は「信用」を生みます。渋沢も現金商売ではなく「信用」が、資本主義社会、ひいては平等社会の実現に不可欠だと思っていました。単なる紙切れである紙幣も「信用」があるからこそ、違和感なく流通しているわけです。
──「誠実さ」を売りにした渋沢ですが、唯一の弱点が女性関係でした。この評伝の中でも、その部分がしっかりと書かれています。
鹿島 キレイごとだけだと信用できないので、ここはいろいろ調べて書きました。渋沢は、奥さんとお妾さんを同居させたりとか、かなり派手な女性関係を持っているんです。若い頃にははっきりとした証拠はないが、パリの留学時代も地元で遊んでいた可能性が高い。よく奥さんには「あなたは聖書じゃなくて論語でよかったですね」なんて嫌味を言われているんです。確かに『論語』には、女性関係に関する戒めはない(笑)。
渋沢の友人関係を見ていると、女好きの男と仲良くなる傾向にあることもわかります。なにせ一番の友人は、伊藤博文に井上馨。二人とも、派手な女性関係で知られた人ですから。逆に大久保利通みたいな堅物は苦手なんです。こういうことがわかっていないと、資本主義の本質はわからないのではないでしょうか。資本主義は、まさに「自己欲望の最大化」。実際、大久保は経済がわからない人ですが、伊藤、井上は経済に明るい政治家として渋沢も絶賛しています。恋愛に寛容な『論語』と、フランスのサン=シモン主義に範をとったことは、渋沢のような人間にはピッタリだったに違いありません。
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