テレビ史に燦然と輝く、中村吉右衛門主演『鬼平犯科帳』(原作・文春文庫)
記憶に残る名シーンの数々はロケーション抜きには語れない――
中村吉右衛門主演のテレビシリーズ『鬼平犯科帳』(フジテレビ)は一九八九年に放送スタートします。断続的に全九シリーズが製作された後、二時間スペシャルに移行、二〇一六年まで続いたロングシリーズでした。
その人気の理由はさまざまにありますが、中でも大きいのは、それぞれの映像の醸し出す「江戸情緒」でしょう。本作を観ていると、「本当にこんな江戸があったのかもしれない」あるいは「あったらいいなあ」というファンタジーに浸ることができる。
それを可能にしているのは、名脚本による物語、名優たちの演技、名スタッフたちの技術であるのは、もちろん大きいです。が、それだけではありません。
忘れてはならないのは、ロケーション。撮影をしているロケ地の魅力そのものが、あの情緒を生み出す上で重要な役割を果たしているのです。これが殺風景な場所で撮られていたら、魅力的な映像にはなりませんでした。
それでは、『鬼平犯科帳』はどのようなロケ地でどのように撮られていたのでしょう。それを検証していきます。
かつての江戸は京都にあり
二〇二〇年五月の終わりから十二月にかけて、何度も京都を訪ねました。拙著最新刊『時代劇聖地巡礼』(ミシマ社)の取材のためです。この本は、京都近辺の時代劇ロケ地=「聖地」を巡りながら、「あの作品のあの場面は、ここでこう撮られた」を解説した一冊になっています。
計四十一か所を回り、つくづく思ったことがありました。それは、時代劇を通して「かつての江戸」と我々が馴染んでいる景色の大半が、実は「現在の京都」だということです。
現在の東京から関東近郊にかけては、「現代」の映り込まない場所を探そうにも、伊豆や秩父、群馬、千葉などの里山や山中のみ。移動するにも遠いですし、何よりそれだけでは、とうてい時代劇の求める「江戸」の景色にはなりません。
江戸は多くの人々が暮らす都市。しかも、現代人はそこにファンタジー空間としての情緒を求めます。そのため、ただ「現代」が映らないだけの山中だったり、無機的に再現された建物があったりすれば、それでいいというわけではないのです。
その点、京都は古の都だけあって、世界遺産・国宝・重要文化財クラスの由緒ある神社仏閣などの建造物、現代と隔絶された風光明媚な情緒あふれる景色が豊富にあります。そこにカメラを置き、その時代の扮装をした俳優たちが芝居をすると、途端に情感の豊かな「江戸時代らしい空間」になってしまうのです。
加えて、その「景色」のバリエーションも豊富です。神社仏閣の本堂・山門・石段も、スケールの大きなものから、素朴なものまであります。景色もそうです。「都市としての江戸」を表現できる建物や路地から、「江戸の自然」を表現できる山河や森林まで、ふんだんに揃っています。
しかも、それらの撮影場所は京都西郊の太秦にある東映・松竹の両撮影所からそう遠くない所にあるのです。そのため、関東での撮影とは比べものにならないほど、時間のロスを最小限にした移動で「江戸の景色」にたどりつきます。
撮影所からさほど時間がかからずに、さまざまなバリエーションの「江戸の景色」を撮ることができる。そのことは、作り手たちからすると、一つのシーンを撮る上でのロケ地の選択肢が数多くあるということになります。そのため、ほんの数秒の歩くだけのシーンでも、風光明媚なロケ地でサッと撮れる。結果として、映し出される空間は余すことなく情感豊かなものになり、描かれるドラマをより豊かなものとして受け止めることができるのです。
その詳細は『時代劇聖地巡礼』にてご確認くださいませ。こんなに近い移動圏内にこれだけのバリエーションの景色があり、そしてこんなにもさまざまな場面が撮られてきたのかと驚かれることでしょう。
独特の質感が生む効果
そして、この京都のロケ効果を最大限に発揮させた作品が、『鬼平犯科帳』でした。そこには、あえて撮影所の外にカメラを出していこうという、フジテレビの故・能村庸一プロデューサーによるこだわりがありました。
「一番意識したのは、京都のロケーションを十分に活かそうということでした。僕が狙ったのは、草深い江戸であり、夜は暗い江戸であり。今までのテレビ時代劇に出てきた、いかにもセットとして整備された江戸の町並みじゃなくてね。それで、なるべく外で撮るようにした」(本人・談)
能村プロデューサーの想いは、早くも第一話「暗剣白梅香」の段階で既に色濃く反映されています。
たとえば序盤、辻斬りのシーンがあります。これは松竹の撮影所にあるオープンセットの路地でも撮れますが、あえて妙心寺で撮影されているのです。
妙心寺は撮影所の近くにあるとはいえ、撮影所内にあるオープンセットなら移動時間はゼロ。しかも夜間の殺陣の場面なので、たくさんの照明器具が必要ですし、撮影のための準備にも時間がかかります。それでいて、シーン自体はほんの十秒ほど。それを妙心寺で撮るのは、効率が悪い。
にもかかわらず、妙心寺で撮ったのには理由があります。ここの境内の石畳や白壁に独特の質感があるため、オープンセットで撮る以上に「江戸の街で事件が起きた」という状況、リアリティをもたらすことができるからです。
長谷川平蔵(吉右衛門)の初めての殺陣のシーンもそうです。
平蔵は刺客の半四郎(近藤正臣)に橋の上で襲われます。松竹のオープンにも橋はあります。にもかかわらず、この場面は嵐山の中ノ島橋で撮られました。
それは中ノ島橋のやや上流にある堰堤を映り込ませたいからです。堰堤とは、川に人工的に作られた段差です。滝のように水が流れ落ちる。それがロングショットで撮ると、橋梁の下に映り込むのです。
それだけで情緒ある画(え)になるのですが、「ああ、キレイな画だな」そう思わせておいてからの襲撃――という展開になることで、急に訪れた危機が生々しく伝わり、映像の緩急になっています。
夜間の殺陣をロケで、しかも今度は妙心寺とは異なり多くのカットを撮っています。撮影の手間暇は尋常でなくかかります。普通のテレビ局のプロデューサーなら敬遠するところです。撮影に時間がかかればスケジュールも延び、それはそのまま予算に跳ね返るので。
それでも、能村プロデューサーはあえてやらせています。
「撮影所のオープンで撮れば楽なんだけど、橋一つにしてもオープンにある橋じゃなくて、臆せず外に行くように現場に仕向けました。とにかく外に出して、キレイな昔の江戸を再現しようとしたんだ」(本人・談)
中ノ島橋のロケーションはラストシーン、平蔵が与力の佐嶋(高橋悦史)と歩く際にも使われています。ここでは、半四郎の生涯を二人が語り合うのですが、その背景に堰堤が映り込むことで、水の流れが半四郎の報われない魂を浄化しているように見え、切ない余韻をもたらすことになりました。
スタート時からの、このこだわりが画面に従来のテレビとは明らかに異なる情感を与え、後々まで続く『鬼平』ブランドの礎となっていったのです。
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