逢坂 池波さんのファンにどのように読まれるかが気になりますね。またうちの親父(挿絵画家の中一弥(なか・かずや)氏)が、池波版の鬼平と私の平蔵の両方の挿絵を描いているんですけれど、まったく何の感想も言わない(笑)。
佐々木 逢坂さんオリジナルの江戸の世界が広がっているのを感じましたよ。私は北海道出身の人間なので、以前は捕物帳の舞台に、実感がなかなか湧かなかったんです。上京して谷中に住むようになってから、「上野寛永寺の鐘の音が聞こえるような世界があるんだ」とか、隅田川の観光船に乗ると「江戸の表玄関は川の方向を向いているんだ」とか、改めて発見がありました。逢坂さんは東京育ちだからこそ、神田や浅草といった江戸の東側を舞台に、大川をはじめとする水路をうまく使いこなせる――クルマのないこの時代、猪牙舟(ちょきぶね)という小さな舟が、悪党たちの移動手段だったという発想が出てきたんじゃないですか?
逢坂 以前から不思議に思っていたのが、時代ものでは「盗賊が横行した」とよく書かれているでしょう。でも、江戸の街には木戸番というものがあって、そこを潜(くぐ)らなければ隣町に行けなかったとされています。しかも夜四つ(午後10時頃)にはそれが閉まって、人が通る時には拍子木を打って合図をした。泥棒たちは裏道を通ったのかもしれないけれど、大人数でゾロゾロ歩くのもちょっとおかしい。それでいつも水路を使ってばかりになって……(笑)。
佐々木 いや、やはり水路、運河を舟で行くしかないと思いますよ。千両箱ひとつ二十数キロあるわけですから。
逢坂 あんなものを担いで、屋根から屋根を伝う芸当なんて、とても無理ですよね。私の小説への考え方は、必ずしも現実をそのまま写し取ることを目的としない。作品の中にリアリティがあればいいんです。例えば『禿鷹』シリーズの舞台は渋谷ですが、私は渋谷をそれほど詳しくは知らない。現実との違いはあったとしても、何か渋谷の街の匂いがひとつでも立ち上ってくれば、それでいいわけでしょう。
佐々木 そうですね。
逢坂 池波さんは江戸の雰囲気をよく伝えていると言われますが、江戸だって誰もみたことがないんだから、本当に実際そのままを伝えているのかは分かりませんよ(笑)。ただ、そこに池波流の歴然たるリアリティがあるから、それでいいんです。
地層に埋もれた過去が
逢坂 さて、物語の舞台ということで言えば、佐々木さんの『地層捜査』(文春文庫)を読んで驚いたんです。舞台になっている新宿区荒木町という街のことを、これまで特に詳しかったわけではないんですよね?
佐々木 友人が荒木町の出身で、ここに花街がかつてあったということは聞いていたんです。というよりも、実はその友人の母親がかつて芸妓さんで、古いアルバムなんかも見せてもらい、当時の荒木町の雰囲気に惹かれたのが最初のきっかけでした。
逢坂 何となくそういうのは創作意欲が掻き立てられる。
佐々木 以前、『警官の血』(新潮文庫)を馴染み深い谷中天王寺町を舞台に書いたんですが、警視庁を扱った小説を次に書く時に魅力的な街はどこだろうか――あまり取り上げられたことがなく、地層深くに何か事件が隠されていそうな街ということで、荒木町を選びました。
逢坂 相当、現地踏査をしたでしょう。
佐々木 何度も歩きましたね。
逢坂 でも、よく何十年も前の歴史がわかりましたね。
佐々木 往時のおもかげは、黒塀の料亭みたいな建物が少し残っているだけですが、それこそ、何となく物語がありそうに思えたんです。小説の中でも書いたように、荒木町の地形は、ちょうど窪地のようです。その段々が、この街は横の広がりだけではなく、垂直方向にも何か深いものがありそうだと感じさせてくれました。
逢坂 私は荒木町には昔よく行っていたんだけれど、それには気付かなかったなあ。でも、何か不思議な匂いのある街で、とんでもない細い路地なんかを歩くのがすごく楽しい。これを読んで、久しぶりに訪ねてみたくなりました。さらに、私や佐々木さんの世代では、実際に知らないはずの花街の様子も、話の中で懐かしく甦っています。
佐々木 それはもう知らないし、どんなに調べても多分書けないものだと思ったので、書くときに自らに課した制約があるんです。あの時代の直接描写はしない。あくまでも回想・伝聞形式の中で主人公の水戸部裕刑事の耳に入ってくるようにしました。
逢坂 でも調べれば調べるほど、何か見てきたようなことを書きたくなってしまうものじゃない?
佐々木 かえって詳しい人には、ばれてしまいますよ。水戸部の意識の中でフィルターをかけられた荒木町の過去であれば、不自然ではないと考えまして。
逢坂 それで違和感なく、過去の場面も読めるんですね。