ところが明治維新後、ヨーロッパで最も軍国主義的であったプロイセン(ドイツ帝国の中核となった王国)に範をとって制定された大日本帝国憲法は、天皇の任務に突如として、陸海軍の統帥権(とうすいけん)と、行政全てを総攬(そうらん)する大権を加え、わが国古来の伝統に反するこの権威と権力の一元化によって、天皇は極度に神格化された。
その結果として、敗戦後の今日に生まれた天皇制廃止論は、民主主義をも天皇の本質をも理解せざるものである。実際の政治上において、本来皇室と民衆は対立するものではなかった。民主主義によって国民が国家の全てを主宰することになれば、皇室は自ずから国民の内にあって国民と一体であられることになる。具体的にいうと、国民的結合の中心であり国民的精神の生きた「象徴」であられるところに、皇室の存在の意義があることになるのである。……
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」を第一条とする新憲法が公布される一年近くまえに、津田左右吉はすでに「象徴」という言葉を用い、その条文と全くおなじ理念を、だれからの押しつけでもなく、日本人自らの主張として書き記していたのだ……。
ここまでが本書の内容の半分で、紙数の関係上あとの紹介は割愛するが、いっさいの先入観と固定観念を捨てて読めば、読者の多くは日本が好きになり、皇室が好きになるはずである。
戦後思潮の主流であった左翼思想にどっぷり浸かって、唯物史観が骨がらみになり、いまなお目に見えないKGBの監視下に置かれている人びとは、
――日本を好きになり、皇室を好きになったりして、本当に大丈夫なのか?
という疑問や不安を強烈に抱くかもしれない。
大丈夫。もういちど日本国憲法の第一条を読み直してみていただきたい。
日本を好きになり、皇室を好きになることは、取りも直さず天皇によって象徴されるわれわれ自体を好きになることである。
本書は、戦後の日本人にかけられた最大のタブーから、自分自身を解き放って、新しい想像力の旅へ向かうための出発点なのである。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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