火山地帯の複雑な地層、そこに集まる壮大な湧水、こうした自然条件が盆地の暮らしを豊かにしていた。ところが、いざトンネルを掘りはじめてみると、そうした自然の恵みが一転、獰猛な牙(きば)を剥(む)いて人間に襲いかかってくる。坑内には大湧水と土砂が噴出し、熱海口からの坑道では大崩壊がおこり、十六人の坑夫たちが死亡する。暗黒の坑内に閉じこめられた坑夫たちは八日間を経て救出されるのだが、吉村さんはその救出作業の詳細を三章にわたって入念に描き出す。
三島口の迂回坑の奥でも崩壊事故がおきて、閉じこめられた十六人全員が死亡。鼻を抉りとられて死んでいる坑夫たちの凄惨な姿からは、断末魔の叫びが聞こえてくるようだ。
関東大震災での被害の詳細な叙述もさることながら、まるで掘削現場を狙い撃ちするかのような昭和五年、北伊豆地震の襲来を描き出すくだりは圧巻である。坑内の断層がついに裂け、それを境に東西の土塊が猛獣のように動いて、西側が二・四四メートルも水平に移動してしまっているのを確認するときの驚愕と絶望の入り混じった時間は、国家事業の挫折の予感を充分に伝えて迫力がある。
吉村さんは「自然の計り知れぬ偉大な力」と書いているが、ここまで読んできて私は、自然を主人公として書かれたとしてもおかしくはないと思った。
自然の力によって生かされてきた丹那盆地の農民にも、恐ろしい災厄が降りかかる。あんなに豊かにあった湧水がすっかり涸れてしまい、ワサビをはじめとするあらゆる農作物の収穫ができなくなってしまった。トンネル掘削のために地下水の流れが変わり、坑道内にどんどんもっていかれるのだ。
穏やかだった農民たちの顔はしだいに変わり、やがて蓆旗を押し立てて事務所に押しかけるようになる。ガラスを割る者もいる。はげしくにじり寄る者たちがいる。
事業の大元の国が結局は乗り出して補償金で解決するのはいまの世の中と同じであるが、いきなりそうするのではなく、村の有力者六名が、応急処置にばかり終始して根本対策を先延ばしにしようとする鉄道省にたいして、これ以上先延ばしにせず根本対策をとることを求める歎願書を綴り、熱海から列車で上京する。吉村さんはそのときの彼らの服装を書くことを忘れていない。「かれらは、羽織、袴をつけて正装し」、「『水利系統調査願』と表書きされた歎願書を提出」するのである。
私は宮本常一の『忘れられた日本人』を思い出す。門外不出の古文書を宮本の懇請に応じて貸し出すとき、対馬の人びとはやはり羽織、袴の正装でそれぞれの島から古文書をたずさえてやって来る。すでに都会の人間から失われかけた折り目正しい日本人の姿を書き残すことによって、吉村さんは、近代というものが地方に辛うじて残っている日本人の美徳までをも引き剥ごうとしていることを伝えたかったのではなかろうか。
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