麹町というオリジナルの舞台と登場人物たち
――舞台になっている麹町は、偶然にも現在は文春社屋のある場所なのですが小説に使われることは珍しいです。
松井 江戸時代の地図を見ていた時に気がついたことですが、深川や本所、日本橋に比べ、麹町は手垢がついていないのも舞台に選んだ理由のひとつです。実際、甲州街道沿いの麹町は日本橋や銀座に向かって牛や馬が荷物を運ぶ交通上の重要な場所。町全体は非常に細長く、現在の地名の紀尾井町からも分かるように、紀伊、尾張、井伊という大名家の屋敷があり、番町にはエリートの武官の旗本たちが住んでいた。さらに江戸城の入り口の半蔵門も近くですから、公儀や武家御用達の商人で成り立っていた町でした。赤坂というのも昔からの大きな遊郭街でしたし、今でこそ目立ちませんが麹町は結構な町だったんです。将軍家の御様御用(おためしごよう=刀剣の試し斬り役)を務めた、山田浅右衛門が3代目から代々麹町に住んでいたのも有名な話で、「人斬り浅右衛門」と恐れられた浅右衛門の登場場面はあまり多くはないけれど、インパクトがあって彩りになっていると思います。
全体的には登場人物は志乃が住んでいる常楽庵の女中の梅の井やゆい、常楽庵に行儀見習いのため通う町の娘たち、事件の当事者も含めて女性が多いんですが、そこで女の違いというか、色々なタイプを出すようにも意識して書きました。微細に見ていくとみんな全く違った個性を持っていて、一筋縄ではいかない女の人たちばかりです。それに対して仁八郎のほうは女を一括りにして見ている。まあ概して、経験のない男に限ってそういうものです(笑)。
――本書には「巳待ちの春」「怪火の始末」「母親気質」、最後に表題作の「老いの入舞い」4編が収められました。
松井 最初の「巳待ちの春」は「オール讀物」で巳年の新春号に掲載され、雑誌の季節に合わせたい気持があったことからこの話でスタートさせました。最後の「老いの入舞い」は私自身がもう還暦を超えてしまいましたので、すでに老いに入ったのを自覚しながらも、「いや、まだまだ出来るんじゃないか」「これで死んじゃうわけ?」という微妙な気持ちがある。しかも自分より年齢が上の人がまだまだ元気ですしね。
入舞いというのは舞い手が退場する前にもう一度舞台の真ん中に引き返して華やかに舞うもので、年寄りが最後に花を咲かせる姿は「老いの入舞い」と呼ばれます。老いに対して本当にこれでお終いなのかという心もとなさがあることも踏まえてこれはいい言葉だと思ったんです。志乃のような女性を書くのは初めてでしたが、今後も仁八郎を含めたさらなる展開を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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