自分の師匠ばかりでなく、キャリアも一門も違う師匠の世話をすると、それぞれ楽屋でのクセや美学が違うので、しくじることも多く、前座内での先輩後輩の関係も出来て、様々なことを学んでいくのです。これが毎日毎日、寄席に定休日はありませんし、ローテーションで休みを取ったりなんてことも当然許されません。師匠の用事や他の仕事で寄席に行かないことはあっても、その時は他所で働いているわけですから、前座としての三年から長ければ五年間くらい、ほぼ休みなしということになります。そして、その間、先輩方の高座に触れ続ける、これも大事です。身体は忙しく立ち働いていても、「捨て耳」といって、高座には耳を傾けている、この積み重ねが芸人としての下地になっていくと言っていいでしょう。
所属団体によって、寄席に出ていない一門もありますので、そうなると修業形態も変わってきます。そういった方の中からも人気者が多数出てきていることを考えれば、寄席による修業は落語家になるための絶対必要条件ではないのかもしれません。しかし、そこで育った者にとっては、自分を芸人たらしめてくれている精神的基盤とでも言いますか、心の拠り所となるのです。
修業期間があけると、寄席の他にもいろんなところで仕事をするようになります。様々な形態の落語会の他にも、学校や介護施設、企業やお寺、お祭りや敬老会等に呼んでいただいたりと、多種多様な仕事があり、収入の面ではむしろそちらがメインということになってきます。
しかし、やはり寄席は特別な存在なのです。育った場所だからという思い入れもありますが、それだけではありません。いちばん安心できる場であり、いちばん気を使う場でもある。んー、わかりにくいですかね、わからないですよね……。慣れた場所であり落語専用の会場、噺を求めて、わざわざ足を運んでくださるお客様、やりやすいのは当然なのですが、皆が自分の味方という訳ではない、という状況。スポーツで言えば、その競技が好きで詳しいのだけど、自分のチームのファンとは限らない観衆の前で試合をするようなものですかね。良いプレーはわかってくれるし、惜しみない拍手を送るのだけれど、「ガンバレ」とか「盛り上げよう」というのとはちょっと違う。その中で、楽屋では先輩や後輩が聴いていて、お席亭の目も光っている……ごまかしはききません。
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