インタビューほか

重松 清×天童荒太 特別対談「命をめぐる話」
第1回:物語から歴史へ

オール讀物2010年1月号より再録

天童 『静人日記』はある年の6月で終わります。そしてつづく同じ年の7月からが『悼む人』の物語へと、つながっていく形になっています。だから発表の順番としては前後が逆になっていて、いわば『スター・ウォーズ』のエピソードの出し方のような(笑)。

重松 エピソード・ゼロなんですよね。

天童 『静人日記』で200近い死を書いたんですが、敬愛しているある作家の方に「この素材1つ1つで、十分小説が書けるんだから、こんなことはもうやめなさい」と忠告されたんです(笑)。

重松 それでも、1冊の本にまとめ上げた。どうしてだったんですか。

 

天童 その方の言葉で吹っきれたところもあって、よし、日記の形で静人の内面や悼みのことを書くのはこれで最後にしようと決めて、言葉は荒いのですが、注ぎ込んでしまおう、というんでしょうか。いまの自分が表現者として描ける生と死を、ここでいったんすべて出しきり、誰かにとってかけがえのない人が、日々こんなにも大勢亡くなっているんだということを、読者と共有したいと思ったんです。それで枯れてしまったなら枯れるだけの作家ですから(笑)。思いついた生と死の物語の核、そのカルピスの原液みたいなものをどんどん注ぎ込んで、そこから読者に個々の経験にもとづいた物語をふくらませてもらえればと思って。

重松 今、原液を水で割っていくのが読者であるとおっしゃったけど、まさにそうですね。1人ひとりの死が原液として僕の中に入り込んできて苦しくなって、何度も立ち止まりました。でもどうなるんだろうと思って、ページをめくっていったのです。

この『静人日記』って『悼む人』のプレストーリーであると同時に、物語の原型だと思います。僕たちにとって最も身近で、かつ原初にある物語というのは、死んだ人のことを「おまえのお父さんはこんなに勇敢で、こんなふうに死んでいったんだよ」と語ることだったんじゃないでしょうか。

人はなぜ死んだ人のことを語ろうとするんでしょうね。もっといえば、思い出を偲(しの)ぼうとするのか。天童さんはこのことを、相当意識されていたんじゃないですか。

天童 ええ、その通りです。『悼む人』の前提にあったのは、亡くなった人を葬るのではなく、覚えておくということの意識づけですね。

亡くなった人を忘れたり、時に思い出したりするということは、日々の生活の自然なありようではありますが、この現代の世界観の中で、あえて“覚えておく”ということを投げかけたかった。さっきも言いましたけど、静人みたいな奴がいたら、出会った人は相当ウザいじゃないですか。「悼ませてください」といきなり訪ねてくるなんて、人々の平穏を破りますからね。でもそこに生じた波紋や、立った波風のなかに、いまとらえ直すべき生と死の問題の要ていがあると感じていたんです。

重松 残されたものたちは、亡くなった人に対しての罪悪感を持っていますよね。その罪悪感を、少しずつ、薄めてきたのに、静人がボンッとひっくり返してしまいます。言ってしまえば、静人はトリックスターなんですね。悪意に満ちたトリックスターが本質を暴くという小説はありましたが、無垢なる善意で暴いていくトリックスターは相当珍しいのではないでしょうか。

天童 静人って、見た目がいい奴だからよさげに見えるけど、実は嫌な奴かもしれない。でも、嫌な存在が常識的な世界に飛び込んでこないと表現できないものってあると思うんです。

重松 わかります。だから『静人日記』の後半に、ナルオとタキさんという人物が出てきて「人が人を悼むことは不遜ではないか」という本質的な問いかけをします。僕はここでもほっとしたんです。この日記は、静人の正しさを補強するためのエクスキューズではないと理解できたから。

天童 むしろ迷いや悩みの表白ですね。こんなことをつづけていいのか、意味はあるのかって。不遜であるということも分かっていないと、静人の旅は、独りよがりを続けるだけになってしまいますから。

重松 もし、悼む行為が打ち破られるとしたら、どういう状況なんだろうかと考えながら読んでいたんですよ。

天童 重松さん、それはなんでしたか?

重松 嘘をつくことだと思いました。ライターとして週刊誌で原稿を書いていますとね、被害者の生きた日々が美化されて物語られるという経験をすることが多いんです。騙すための嘘じゃなくて、どうしようもなく美化してしまうというのかな……。それは残された人間の弱さでもあるんですけれどね。

天童 美化された物語でもいいんじゃないかと、静人はだんだん思うようになったところがあります。事実だけを悼むことは不可能だと、悼みを重ねるほど彼は知ってゆく。死者について語られた人生が事実じゃなくて、遺された者が美化した物語だとしても、静人はそれも1つの真実として受け入れるようになる。結局大切なのは死ではなく、生きていかなきゃいけない者たちのこと、生だと、実感してゆくからでしょう。

重松 なるほど。ところで『静人日記』では、風邪をひいたり、筋肉痛になったり、フィジカルな痛みを綿密に描いてらっしゃいますよね。

天童 僕自身も風邪をひくし、それでも1日に1度は誰かを悼んで日記を書いていたので、自分と重ねている部分もありました。寝てて足をつったとか、風邪ひいてると鼻水がわりとやっかいだとか(笑)。

重松 旅の予算は切り詰めて毎月2万円(笑)。しかも、用心のために風邪薬まで持ち歩いている。そういうディテールが、彼の旅に信頼を与えているのではないでしょうか。観念として人の死をたずねているんじゃなくて、これは本当に歩いている日記だ、と。

天童 嬉しいですね。鼻水たらしながら日記をつけつづけた甲斐がありました(笑)。

重松 静人は、1人ひとりの死にまつわる物語を背負う覚悟をもって旅をした。物語の変質、捏造(ねつぞう)をも飲み込む覚悟もある。となると、これは僕の希望でもあるんですが、これから静人は、物語の集合体としての大きな歴史に立ち向かうことになるんじゃないでしょうか。

天童 おっしゃる通りで、今後はそうなる予感がしています。静人にはいつか、海外の歴史的な場所に行ってほしいと思っています。多くの歴史的な罪をも含めた死と向き合ったときに、彼がどう悩み、壊れていくのか。あるいは、これ以上悼むことはできない、という場所に立ったときに、絶望の果てから彼が何を得てくるのか。

僕自身が背負わなきゃいけないことでもあるので、僕が、それを支えられるだけの人間になってから、行ければと思っているところです。

重松 まさに物語から歴史へ、ですね。

天童 アウシュビッツや、イスラエル、パレスチナに、静人が立ったときに、何をもって悼みとするのか。天童荒太を、静人がどこかで救ってくれる局面もあるかもしれませんし。そのときに小説の新しい観点が、生まれるかもしれないという期待も抱いているんですよ。

重松 アウシュビッツやゲルニカなどから人間の絶対悪をとらえる文学はあっても、少なくとも僕の読んできた戦争文学には、静人のような人間は出てこなかった。それこそ、もしかしたら、聖書まで引っ張ってこないと、位置づけられないベクトルから入ってくるわけだから。大変なことを始めちゃいましたね、としか言いようがないんですが(笑)。

天童 いやぁ、始めてしまったんですね(笑)。でもそこには始めることのできた幸せもあるわけだから、引き受けていかなきゃなとは思っています。

重松 清×天童荒太 「命をめぐる話」
第1回:物語から歴史へ
第2回:罪悪感の正体
第3回:生と死を意識させるもの

悼む人 上
天童荒太・著

定価:本体590円+税 発売日:2011年05月10日

詳しい内容はこちら

悼む人 下
天童荒太・著

定価:本体570円+税 発売日:2011年05月10日

詳しい内容はこちら

きみ去りしのち
重松 清・著

定価:本体1,524円+税 発売日:2010年02月12日

詳しい内容はこちら


 こちらもおすすめ
特設サイト80万部突破の直木賞受賞作、完全映画化 天童荒太『悼む人』(2015.01.23)
書評『悼む人』映画化によせて 天童荒太 二〇一五年初頭のご挨拶(2015.01.23)
特設サイト天童荒太 『静人日記』(2009.11.25)
インタビューほか静人と自分の成長の証(2009.11.20)