インタビューほか

鹿島茂×佐藤亜紀
対談「パリの下半身と魅惑の地下世界」

「本の話」編集部

(文學界 2014年7月号より)

19世紀小説とは

鹿島茂 (かしま・しげる)
1949年生まれ。神奈川県出身。『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞。『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞。『職業別 パリ風俗』で読売文学賞。『パリ時間旅行』『渋沢栄一』など著書多数。

鹿島 20世紀のジョイス以後の小説というのは基本的にモダニズム小説です。19世紀ロマン派の小説とどこが違うんだろうと考えたあげく、出した結論は、ロマン派(自然主義を含めての意味ですが)の19世紀小説は、この世にいまだ人が見たことのない新しいものが存在するという考え方が根底にある。だから遠くへ出かけ、もう行くところがなくなると、SF的想像力で地球の内部や外へ出て行ったりする。

佐藤 ジュール・ヴェルヌ的なもので繋がっていくわけですね。

鹿島 そうです。時間を旅したりね。オリエンタリズムにしろ、絵画でいうと象徴主義にしろ、この世に未知のものが存在すると考えた。だけど、おそらく第一次大戦を契機にして、この世に新しいものは最早ないということになった。すべては言われてしまった、ということで、モダニズムが現れてくるわけですが、その考え方の根源を成すのは、言葉なんです。言葉というのは、誰かが使った言葉しか、使えないわけです。当たり前だけれど、そこには絶対的なルールがあって、使い古した言葉を洗い直して、組み換え、アレンジメントだけで作るというのが本来の言葉ですよね。言葉を逸脱することは、なかなかできない。だから必然的に、モダニズムというのは言語実験になるわけでしょう。日本では、たとえば「古今集」から「新古今」に至る流れで、一旦終わり、その先はないわけですよ。で、またもう1回ロマンティシズムの考え方に戻ってきたり、と。僕の理解してる文学史というのは、その繰り返しなんです。

 現代に生きる我々は、モダニズム小説を書く以外にない。21世紀で小説を書くとなったら、素朴なロマン主義で書くというのは無理があります。でもモダニズム小説を読んでいると、閉塞感がある。それをなんとか、突き抜けた感じを出して書きたいと思っていました。うまくできたかわからないけれど、19世紀小説を一旦解体して、そのアレンジメントで21世紀小説を作りたかった。

佐藤 それはとても納得できます。

鹿島 あと、基本的に自分は小説家ではないという自己定義があって、小説を書くべき動機のない人間が、どうやって小説を書けばいいのか。つまり小説家というのは、自分の中に抱えたデーモンと、現実との差をなんとかして縮めようと努力することが、小説になって現れると思うんです。これに対して、そういう落差を持たない人が小説を書く場合は、動機を作らなければならない。そのときにふと思いついたのが、要するに全ジャンルの小説を書きゃいいんだということでした。自分から選ぶのではなく、ジャンルごとに小説を書いていけばいいんじゃないかと思い、いろんなことをやってるわけなんです。小説を書くのはこれで3作品目だけれども。やっぱり21世紀人間というのは、どっちにしろ、けっこう無理があるんだよね(笑)。

佐藤 そうでしょうね。自分の内にある落差を求める小説として、マイノリティ文学の台頭がありましたよね。アメリカでも若手でクローズアップされる作家は、ほとんどが移民だった。でも今の若手の非ヨーロッパ系の作家、たとえばジュノ・ディアスなんか読んでも、真夏のカリブ海の風景なんかは面白いけれど、サルマン・ラシュディのような奔放さは感じられません。優等生的で、マジョリティにとって都合のいいマイノリティ・イメージを体現しているのかもしれない、と思う。もうマイノリティであることは、そう簡単に出口にはならないのじゃないか。

鹿島 フランスでも、現在基本的に文学を支えているのは移民ですね。移民と、フランス語圏(のフランコフォニー)の作家が主体。小説というジャンルは、要するに社会的上昇のとば口に立ったような階層やジェンダーが取りかかるもので、その問題を越えてしまうと、もう書くことがなくなってしまう。

佐藤 階級上昇の手段としての小説、ということですね。

鹿島 そうです。そして、もう各国が順繰りに、裕福な社会になっているでしょう。そうすると、もう辺境がなくなる。いずれ小説が書くべき面白い領域は、さっきのロマン主義と同じで、なくなってしまうわけです。

佐藤 もう、ほぼないのかもしれないですね。

鹿島 そのとき、今までは辺境をどこか空間的に、横軸で探すわけですよね。それを縦軸に広げていくこともできないかと。

佐藤 それは時間的な縦軸ですか? それとも社会階層的な?

鹿島 どちらも含めてです。時間と階層は順繰りのシステムだから、たとえば19世紀に戻れば、状態は今日の発展途上国とほぼ同じかもしれない。そうなると、今の我々はそこのところをすでに通過してしまっているので、逆に面白いかなと。僕はだから、かつてのパリ小説というものを考えてみたいなと思った。

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モンフォーコンの鼠

鹿島茂・著

定価:本体2,000円+税 発売日:2014年05月23日

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文學界 7月号

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