書評

エンタメを通じて「正義とは何か」を問う作家真山仁の傑作

文: 関口 苑生 (文芸評論家)

『売国』 (真山仁 著)

 彼は、子供の頃から読書が大好きだったという。中学生のときにはすでに漠然と物書きに憧れ、高校二年のときに読んだ山崎豊子の『白い巨塔』がその気持ちを決定的にした。いくつかのインタビュー記事や講演の記録によると、これほどインパクトがあって、読者が疑似体験でき、自分の考えや思いを人に伝えられる方法は小説以外にはないと思ったのだそうだ。同時に作者の凄まじい取材力に驚き、これは絶対に見習わなければならないと肝に銘じたのだとも。『白い巨塔』を読んでいる方ならお気づきだろうが、この作品には権力と正義のバランス関係が生々しく描かれている。迂闊なことは言えないけれども、もしかするとこれが真山仁の出発点であったのかもしれない。

 そうした気持ちを、より一層加速させたのが大学三年生のときに出会った、フレデリック・フォーサイスの『第四の核』であった。もちろんそれ以前にもフォーサイスの作品は読んでいたが、『第四の核』には小説を読む愉しさ、面白さ以上のものを感じたのだ。それは一冊の本で社会が変わり、歴史の転換点を作ることが出来るという衝撃だった。詳しい事情は省くが、その頃イギリスは保守党が後退し、次の選挙では労働党が圧勝、政権が移り代わるという気運が高まっていた。ところが、労働党の危うさを描いたフォーサイスのこの一冊でがらりと潮目が変わって保守党が勝利、サッチャー政権がその後十年に渡って続いたのである。当時〈政権交代論~自民党政権打倒のシナリオ〉の題で論文を書いていた真山仁にしてみれば、およそ信じられない出来事であったろう。一冊の小説が世の中の趨勢をひっくり返してしまったのだ。これが小説の持つ秘めたる力なのか、と思っても不思議はない。

 もっとも――水を差すようで悪いのだが、イギリスの世論調査というのは当てにならないことで定評があり(一番頼りになるのはブックメーカーの予想だそう)、当時の労働党が圧勝するとの気運、世論が必ずしも正しかったとは限らないようだ。とはいえ、このとき真山仁青年の胸に灯った小説に対する熱き思いや希望、野心はその後も長く長く続くことになる。

 本書『売国』は、真山仁が小説家を目指す動機と支えにもなったであろう、これらの作家、作品の“魂”を忠実に受け継いでいる傑作だ。

 徹底した取材によるリアルな描写、重層的に構築された先が読めない波乱の展開、明白な善悪など存在しない社会の不条理、立場・思想によって変化する正義――単純には割り切れない世界の実像に迫っていこうとする、小説の基本姿勢がここにはたっぷりと詰まっている。

 物語はふたりの視点から描かれていく。ひとりは気鋭の検察官・冨永真一。彼は圧倒的に不利だった殺人事件の裁判を検察側の勝利に導いた功績を認められ、特捜部に配属されて新たな仕事に挑むことになる。もうひとりは、宇宙開発に挑む若き女性研究者・八反田遙。遙は幼い頃から父親の影響で宇宙に憧れ、日本の宇宙開発を担う研究者になるべく日々奮闘中だった。

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売国真山仁

定価:本体720円+税発売日:2016年09月02日


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