- 2016.09.04
- 特集
東映の歴史とは、すなわち、成功と蹉跌とが糾う、生き残りの歴史である。――水道橋博士(第4回)
文:水道橋博士 (漫才師)
『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 (春日太一 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
初期の東映を支えた英傑、マキノ光雄が48歳で早逝し、東映中興の祖「鬼の岡田茂」の時代になる。「東大経済学部出身のエリート」でありながら「やくざを投げた男」として数々の修羅場を潜り、若くして「日本映画の首領」となる一大人物伝が語られる。
この時代、出鱈目で香ばしい逸話、こくのある武勇伝は数限りない。
しかしながら、この本には(岡田茂・談)は一箇所もない。岡田茂の自伝、評伝の類は既に数々あり、もちろん、東映史を描くには、その豪腕、巨魁ぶりは外せない。
しかし、従来の岡田茂史観を避け、周囲の証言から人物の輪郭を描くことで、晩年の神通力の衰えと失策にも斬り込み、一人の英傑の興廃と盛衰の儚い無常感までを描破した。
この書き方こそ、この本の肝でもある。なぜなら岡田茂史観ではない、東映史の本など、かつて一冊もないのだから。
東映の歴史とは、すなわち、成功と蹉跌とが糾う、生き残りの歴史である。
「撮影所」という組織、映画という斜陽産業が路線変更を繰り返し、いかに「作り続けること」でサバイバルしてきたか。そして、世に送り出した作品は、失敗作を含めて全てに秘めたるドラマがある。
ゆえにこの本を書き終える難しさは計り知れない。
膨大な作品を時系列で取り上げるだけでも字数は増え続けるだろう。筆者とて最も語りたいところの役者論と作品論を脇に置き、引き算を繰り返しながら、冷徹に興行成績だけで作品の雌雄を決し、それに伴う経営判断の変遷を追ってゆく……。
本書でも学校で使う歴史の教科書同様、近現代史は駆け足という習いは一緒だが、しかしボリュームとして少ない。
その最後半のページにこそ意義深い、東映京都撮影所の未来への提言が厚く重ねられた。そしてこれは、映画を駆逐したテレビが、今同様に斜陽産業に向かう中での暗喩めいた提言ともなろう。
「東映京都の話はこんなに甘くない!」。上述の崔監督や、井筒監督、それどころか古参のOBは山のようにいる。
古株自慢の東映マニアたちが、1977年生まれの著者の取材不足とミスを手ぐすね引いて待っている……。
そんなプレッシャーも常にあったであろう中、しかし、氏は、東映京都に通い詰めて掴み取った数々の証言で、見事、返り討ちを果たしているのだ。
第5回[最終回]に続く
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