――少し大きなテーマについてお聞きしたいと思います。病気になるといつも自分は死ぬのではないかと考えてしまう一方で、死は怖くないとも書かれています。「死」ということに関してはどのような認識をお持ちですか。
横尾 死に至るプロセスはもちろん怖いです。でも死ですべてが無になるとは考えていないので、死そのものは怖くないですね。もちろん死と同時にこの世のものはすべて失うわけで、それは寂しいこととは思いますが、未練を残さないようになるべく自分の中で身辺整理をするようにはしています。人も物も事も情的なものから離れようというのは、意識していますね。ぼくも来年は七十になるわけで、あと十年以内くらいのスパンで人生を考えているんです。
――この本を書くことによって、ご自身の中でふっきれた部分、あるいは新しい発見のようなものはありましたか。
横尾 病気について書くことは、ぼくにとってひとつの解毒作用になっているのではないかと思います。もう治っているはずなのにぼくの中で抱え込んでしまっている病気もあったわけです。でも書くことによってそれを吐き出すことができた。これは創造行為と似ていますね。自分の中に溜まっているやばいものやえぐいものなど、不透明なものを「創作」という形で吐き出すことで解消してしまう。病気も同じ。
――帯に「病は芸術に通ず」とありますが、本書を読むと、病気そのものが創作活動に大きな影響を与えているとすら感じてしまいます。
横尾 病気をすることによって、もちろん創作は中断されてしまいます。でもその中断されている最中はむしろ普段より想像力は活発に働いていて、形にこそできないものの、頭の中では幻の作品をいっぱい作っているんですよ。そういうジレンマみたいなものが、病気が治った後にひとつのパワーになって、岡本太郎じゃないけど爆発するんじゃないかな。
また、病気になって本当に辛い時は、自分の名誉も地位も財産も何もかもどうでもよくなってしまうんです。人格の放棄と言っていい。でもこれは芸術を追究していく上では最もいい状態だとも言えるかもしれません。社会的な重荷を全部外して生身の人間になった時、原始的な力が湧いてくるように思います。つまり、病気は自分を生身の人間にさせてくれる絶好のチャンスでもあるんです。
もちろん病気の最中は死に物狂いですよ。でも、終わってしまえば、病気もそんなに怖くない。むしろ場合によっては歓迎すべきものである、なんて思ってしまう自分がいる。そう考えると、病気というのは、ふてぶてしさを養ってくれるところもあるんじゃないかな(笑)。
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