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「自伝的三部作」を書き終えて

「自伝的三部作」を書き終えて

田中 和生 (文芸評論家)

『流される』 (小林信彦 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #小説

小林 今までにいろいろ書いてきましたからね。講談社の『冬の神話』のとき僕を担当した、当時の三島由紀夫が、これ以上の人はいない名編集者だと言った女性が、講談社の人なのに、「これから小説をちゃんとやられるんだったら、あの人に会うといい」と言ってくれて、「新潮」編集部のSさんを紹介してくれました。Sさんは、初対面の僕にも、非常に親切でしたし。

田中 実業家っぽい感じもある方で。

小林 そう。副編集長だったんですね。Sさんは慶応の独文ですからね。そのせいか好みの作家は独文出が多いんですよ。内向的世界に強い。

田中 そういうつながりがあるんですね。面白いですね。

小林 僕は英文科だから、お互いにちょっと食い違ってるということは分かってるんです。短篇1つでも1年ぐらいやり取りしました。家が近かったですから、途中の喫茶店で朝、向こうが会社へ行く前に会うとか。原稿用紙やレターペーパーだかにびっしり感想が書いてあるんです。いろんな指摘を下さったんですが、結局、こちらが駄目なんですけどね。特に自伝的なものをやると、うまくいかなかった。

田中 なるほど。

小林 僕は大学で英文学は古典をやってたんですね。フィールディングとか18世紀の小説ですね。流行のジョイスとかではなく、内的にあまり深く入らないで、話が面白いほうを読んでました。

田中 僕は『日本橋バビロン』を最初に読んだときに、これは日本の近代文学がずっと夢見てきた19世紀的な文学を日本語で達成したような作品なんじゃないかという印象を受けました。永井荷風のこともなかで触れておられますが、そういう作品を書けたはずの永井荷風は、あまりに日本が変貌していくのを直視するのが耐えられなかったんだと思うんです。小林さんはその辛さも含めて書いておられて、そこに射程の深さを感じました。

小林 永井荷風は出も育ちもいいんですけど、やっぱり山の手の人間の変種だと思うんです。麻布の、今のホテルオークラのそばですよね。晩年というか中年の終わりっていうか、あそこから電車で、濹東へ市電で通ってたわけです。僕は、戦前のことは今でもはっきり覚えてるんで、生れた町が栄えていたのは明治か大正で、浅草と競ってたわけです。『日本橋バビロン』にも引用しましたけど、永井荷風も、僕の家があったところあたりの賑わいを、「屋根のないデパート」みたいなものだと表現した。それから寄席が、ほとんど1つの町内に1軒あって。

田中 これも僕が勝手に比較してきたんですけど、永井荷風は噺家になろうとした人なのに不思議なんですが、小林さんがずっと大事にしておられるユーモアとか喜劇性みたいなものが希薄です。たとえば今回の三部作に重なる内容で、1986年に書かれた『ぼくたちの好きな戦争』はその後の日本文学を予言するすごい作品だと思うんですが、今回は実はそこにあった喜劇的な要素があまりありませんね。

小林 もうそういう新しい笑いとかなんとかっていうものはどうだっていいじゃないかという気持ちがありましてね。

流される
小林信彦・著

定価:1550円(税込) 発売日:2011年9月16日

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