田中 面白いですね。たぶん「私小説」と「私小説的」の違いで、ただ自分のことを書いているのと、自分じゃないものを書くために自分のことを書くということの違いでしょうか。それは小林さんの自伝的三部作の特徴に通じますね。
小林 私の受け取り方が極めて勝手かもしれないけども。でも、まあ今度の場合は、二部を書いて、さらに三部というのは、失敗するか成功するかどっちかなんですね。ともかく焼け跡だったときの青山とか六本木を書きたいんだということは編集者に言ったんですけども、物語というのは芯になる人物がいなきゃ駄目なので。祖父は非常に印象が強いし、よく人を怒鳴ったりなんかする人だったというような回想の手紙を親戚からもらっていたんです。沖電気というのは、西郷隆盛の死ぬころから始まった会社で、西南戦争のことを通信で東京へ送ったのから始まって、日清・日露の戦争で発展してきた会社で、そこの土台を小僧からたたき上げて固めた何人かの1人といわれても、なかなか想像できなかった。
田中 その作品の入口自体がフィクショナルですよね。そうすると伺ってきて、主題というか、内容としてもずっと温めてこられたものだし、書き方も、今までいろいろな書き方をされてきた上にあるもので、読んでいてすごく平明で技巧を凝らしたというタイプの作品じゃないですが、小林さんの文学の集大成と言える三部作になっていますね。僕はこれは、これからの日本文学の方向性を一つはっきりと示す、素晴らしい作品だと思います。
小林 谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』は、その時代としても認める批評家と認めない批評家といて、そのときの「群像」の創作合評を読むと面白いけど、三島由紀夫と福永武彦が絶賛して、花田清輝はよく分かっていないらしい。それは褒めないとかそういうことじゃなくて、全然興味がないっていうね。谷崎潤一郎もあそこであの作品がなかったら、ちょっと違った感じになったんじゃないですかね。
田中 よい作品は、すぐには理解されない部分があるということですよね。あとがきにも書いておられますが、次の作品のことをよければ少しお聞かせください。
小林 まあ、あと2つぐらいは、体が持てばね。だけど、今こういう時代だから、全く何が起こるか分からないんで。僕はね、今のほうが日常の恐怖っていうのが遥かに強いです。空襲が始まるまで昭和19年までは、僕らにとっては非常にいい時代だったのですが。
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