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論理と情緒を兼ね備えた人

論理と情緒を兼ね備えた人

文:藤原 正彦 (数学者・作家)

『無私の日本人』 (磯田道史 著)

出典 : #文庫解説
ジャンル : #ノンフィクション

『武士の家計簿』と同じく、本書も世に埋もれた人間に焦点をおいた作品だが、主題は大いに異なる。前者は質素倹約と刻苦精励によって自らの道を切り拓いた猪山家の力強い生き様だったが、後者は無私の日本人を拾い出し、その惻隠、献身、謙譲を描いている。共に日本人の誇るべき、そして近年忘れられてきた美徳と言ってよい。

 著者は昨今の日本の姿を、歴史学者としての目で、日本の本来の姿ではないと明察しているのではないか。ものの価値をことごとく金銭で計るというアメリカ流の新自由主義が跳梁跋扈し、経済至上主義にすっかり染まった人々は競争と評価に追いつめられ、本来の日本人らしさを失なっている。これを見て磯田氏は「これは違う」と義憤を感じているのではないか。幕末維新の頃に来日した多くの欧米人は「日本人は貧しい。しかし幸福そうだ」と首をひねった。欧米では、貧しいとは惨めで不幸というのが常識だったからだ。この日本人の不思議に対する解答の鍵が本書にあるような気がした。

 磯田さんの本にはいつも余得がある。「江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民は、親切、やさしさ、ということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさをみせた。倫理道徳において、一般人が、これほどまでに、端然としていた時代もめずらしい」「家意識とは、家の永続、子々孫々の繁栄こそ最高の価値と考える一種の宗教である。この宗教は『仏』と称して『仏』ではなく先祖をまつる先祖教であり、同時に、子孫教でもあった。江戸時代を通じて、日本人は庶民まで、この国民宗教に入信していった」。このような著者ならではの鋭い洞察や歴史観が、本文のあちらこちらに挿入されていて、私などは大いに得した気分になるのである。

 私は本書で活写されたような人物が我が国にいたことをうれしく思った。そしてこのような日本人は他にも、全国津々浦々に多くいたに違いないと信じている。歴史に埋もれてしまっているだけだ。古文書を自在に読める磯田さんが、こんな人々に光をあててくれることに感謝したい。このような仕事に向かわれる彼の中には、埋もれた偉人に遅ればせながら正当な名誉を与えたい、という彼の正義感と惻隠も働いているのだろう。

 磯田さんの作品を読むと、彼が論理と情緒を兼ね備えた人であることが分る。このような人はしばしば、虫の目と鳥の目をともに持っている。彼はこれからもこれら二つの目でいくつもの発掘をしてくれるだろう。そしていつの日か彼は、それらを踏まえ、日本人とは何かを明らかにし、日本史に斬新な視点を与える仕事をしてくれるのではないだろうか。楽しみである。

無私の日本人
磯田道史・著

定価:本体590円+税 発売日:2015年06月10日

詳しい内容はこちら

「穀田屋十三郎」(『無私の日本人』所収)原作
殿、利息でござる!

出演:阿部サダヲ 瑛太 妻夫木聡 ほか
監督:中村義洋
5月14日(土)全国ロードショー

(C)2016「殿、利息でござる!」製作委員会

無私の日本人
磯田道史

定価:本体630円+税発売日:2015年06月10日

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