何でもありのテーマパーク
忘れられないのは、校庭の隅に掘られた運動会の仮設便所だ。子どもの目に映ったその穴は庭の池ほどあった。二本の板が渡してあり、四辺に柱を立てテントで覆っただけだ。足を開いて板を渡り池の中程へ行ってしゃがむと、次の人が平気で入って来て板を揺らす。板子一枚下は海ではない、黄土色の凄まじい池だ。
もしやその記憶は私一人が見た悪夢ではないかと、後年、知人に話すと、「ぼくの通った中学校もそうだった」と言う。運動会の思い出一つとっても製鉄所が隆盛期の八幡は、何でもありの奇妙なテーマパークに似ていた。
十一月半ばになると製鉄所の起業祭が催され、哀愁を帯びた木下サーカスのジンタの楽の音が流れ、祭りの広場はお化け屋敷やろくろ首の見世物小屋が立ち並ぶ。祭りの人出は例年、五、六万人は下らない。市内の学校は昼で終わり、子どもは飛んで帰って祭りに行く。製鉄所の圧延工場や鎔鉱炉の見学では、真っ赤な鉄の火の川が轟々と流れる光景に興奮して、その晩は熱を出した。
しかし子どもの私が、八幡を変わった街だと心底感じたのは小学三、四年にもなった頃だ。夏休みが明けて九月になると、連日、運動会の練習が続く。そのときほとほと嫌になるのが八幡市歌の合唱だ。熱烈愛郷心の塊の歌詞を三番まで延々と歌う。歌詞の一番はこうだ。
天の時を得/地の利を占めつ/人の心の和さえ加わり/たちまち開けし文化の都/八幡八幡われらの八幡市/市の発展は/われらの任務
私は国語少女だったから「天の時を得」も、「地の利を占めつ」も意味がわかる。「和さえ加わり」とは人心相和す、ということだろう。そうして奇跡の如く出現した一大文化都市が八幡なんだと……。八幡市民の任務はその町を発展させることだという。そして自分はその類い希な文化都市の子どもというわけだ。やれやれ、歌詞の二番はこうである。
焰炎々/波濤を焦がし/煙もうもう天に漲(みなぎ)る/天下の壮観/我が製鉄所/八幡八幡われらの八幡市/市の進展は/われらの責務
焰炎々は大げさではない。夜も赤々と鉱炉や工場の火が映えて、八幡の空に夜はないほどだ。しかしこの歌を聞くと、製鉄所が市立で、市民全員が八幡製鉄所の推進メンバーのようだった。熱烈愛市、熱烈八幡製鉄所の歌である。そして結局、小学生だった私の八幡市歌の感想は、変な街! なのだった。
戦後の焦土に生えた一番目のツクシ(この私)も七十歳を迎える。爾来、八幡製鉄所も復興日本の一翼を担い終え、今は拠点を君津や大分に移し街はカラーンとしている。数年前に取材で訪れた福井県で八幡育ちという陶器窯の内儀さんに会った。「それなら八幡市歌を歌えますか?」と言えば、「もちろん!」とその人は立ち上がり、「天の時を得」から三番の歌詞のラスト、
愛市の真心/神こそ知るらめ/八幡八幡われらの八幡市/市の隆昌は/われらの歓喜
までを歌い上げた。お見事!
(「八幡製鉄所 炎が天を焦がした高度成長」より)