そこで、どうしても疑問に思ってしまう。秀吉はなぜ、如水に十二万石あまりの領土しか与えなかったのでしょうか。検地をしたら十六万石に増えたそうですが、それにしても多くはない。しかも政治の中心地である畿内からは遠い。石田三成・増田長盛・長束正家ら能吏タイプの武将は近江とか大和とか、京・大坂の近くに十万~二十万石の所領をもらい、奉行として政権に参画しています。如水はそういう活動からも疎外されている感がある。これほどの才能を用いない。豊臣政権を維持するためにはマイナスでしょうに。
この件に関しては、江戸時代に作られたエピソードや、司馬遼太郎をはじめとする小説家の解釈が、案外に正鵠(せいこく)を射ているのかもしれません。つまり、秀吉は如水の才能を怖れた。怖れた、が大げさであるなら、それこそ怨望をいだいた。かつて将棋の升田幸三九段が、大山康晴名人の真の強さを知るのはオレだけだし、オレの強さを知り得たのは大山だけだ、と語っていました。ともに戦場を往来した秀吉と如水は、あたかも升田と大山のように二人だけが、互いの抜群の器量を知りあっていた。地位の上下を超えて一人の男と男として。だから秀吉は如水に強烈な怨望を抱いた。合理的な判断に従うことができず、あえて冷遇したのではないでしょうか。
さて、このほど、ぼくは『天皇はなぜ万世一系なのか』において、世襲の様子を確かめました。翻って考えてみると、ぼくが世襲を嫌いなのは、要するに怨望なのかなあ。貧しい家に育って、学び、働き、あくせくと生活することが必要だったため、親から譲られて安泰な地位をもっているというのが羨ましくて羨ましくて。上流の階層は自由がなくてお気の毒だ、なんていう人(結構いますよね)には悪態をついたものです。あなた達はどこまで奴隷根性なのだ。自由でメシが食えるものか、衣食足りて礼節を知る、という言葉も知らないのか、と。でも、福沢が説くように、怨望は人を引きずり下ろす愚劣な行為であり、何も生みださない。そこに要注意! です。
先日、ふとしたご縁で福田達夫さんとお話しする機会がありました。祖父の赳夫氏、父上の康夫氏、ともに総理大臣という正真正銘の政界のプリンスです。ですが、この方、偉ぶったところが全くない。爽やかな上に、確たる知性を備えている。ああ、これが育ちが良いということか、これなら人はついてくるなあ。納得です。夕食もご一緒したのですが、銀座のすし屋でも六本木のフランス料理でもなく、何を食べてもおいしい居酒屋で。支払いはきっちり割り勘。金銭的にも清潔で、感心しました。
ヒステリックに世襲を否定してしまっては、こうした得がたい人材を失うことになる。当たり前ではありますが、議論というのは一筋縄ではいかなくて、難しいものです。怨望ではなく、健全な批判精神をもって、これからも世襲と才能の問題をじっくりと考えていきたい。でも、あまりにああだ、こうだ、と瑣末な空論を重ねていては、大事なのは決断だ! 如水に怒られてしまうかもしれません。ああ、ぼくはトップじゃないから、それでもいいんだな。
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実力より人柄と家柄。こんな人事がなぜまかり通る!?
2019.11.20インタビュー・対談
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