ぼくはむかし、三年にわたる受験勉強を経て、練馬にある私立M中学に入学しました。ここですぐに読まされたのが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』。その十三編「怨望(えんぼう)の人間に害あるを論ず」、冒頭には「凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし」とあります。怨望は人と人の交わりにおいてもっとも有害である、と。
怨望とは、ねたむこと、そねむこと。同級生のほとんどは、国立K中学に合格できなかった敗北者。そんなぼくらの間で、この言葉が妙に流行したのを鮮明に憶えています。今にして思えば、幼いながら自らの振る舞いを直視し、悔しさや挫折感が怨望に変化せぬよう注意しながら、ぼくらは新しい目標を見定めていったのでしょう。
福沢は奥平氏十万石、豊前中津藩の下級武士の生まれです。豊臣政権下、この中津城(最近、一般に売りに出されて有名になりました)の城主だったのが、知謀の冴えで有名な黒田如水(じょすい)。通称は官兵衛、名は孝高(よしたか)。歴史物語の世界では、竹中半兵衛と黒田官兵衛は、羽柴秀吉を支えた軍師とされています。如水の子息が甲斐守長政。この人は文武両道で、戦場では武勇を振るい、謀略もそつなくこなすタイプ。関ヶ原の戦いでは毛利・小早川家の徳川方への内応に一役買って、褒美として福岡五十二万石の大封を獲得しました。
如水の知略については多くの逸話がありますが、一つだけ紹介してみましょう。命旦夕(めいたんせき)に迫った日、如水は長政に「草履(ぞうり)片方、木履(ぽくり)片方」を形見として与え、諭します。戦さは生死をかけた大ばくちである。思慮が過ぎては戦さに勝てぬ。時によっては草履と木履(下駄のこと)を片々にはき、急いで駆け出す心構えがなくてはならぬ、と。
この話には別の解釈もあります。片方ずつの草履と下駄を手にした長政は、考え込んでしまった。どんな意味が秘められているのだろう? すると如水が叱咤します。ほれ、それがお前の悪いクセだ、そんな草履と下駄に特別な意味なぞあるものか。ムダに考えを重ねるのでなく、決断せよ。それがトップの務めだ。思案に行き詰まった時は、今の父の言葉を思い出せ。
そうか、なるほど。どちらも唸らせる。たしかに如水、ただ者ではない。
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実力より人柄と家柄。こんな人事がなぜまかり通る!?
2019.11.20インタビュー・対談
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