(本書まえがきから転載)
長年、日本の歴史を研究する中で、私はこの国の権力構造に関心を持ち続けてきました。もっと平たく言えば、誰が一番偉いのか? そして、なぜ偉いとされているのか? ということです。
この問題は、形式的に考えると、それほど難しい問題ではないように思えます。すなわち、「地位」が高い者が偉い。朝廷の秩序ならば天皇、幕府では将軍が最高位に置かれている。将軍は天皇によって任命されるのだから、将軍よりも天皇が偉い。なるほど、簡単な論理です。
しかし、私が求めているのは、もっとリアルな権力のありかたです。誰が実権を握っているのか? 誰の言うことにみんなは従っているのか? 実質的な決定は誰が行っているのか? そして、その根拠となっているものとは何か?
日本史の実態を見てみると、先ほどの形式的な理解はただちに破綻します。わかりやすいところで徳川家康。彼が征夷大将軍に任じられたのは一六〇三(慶長八)年ですが、そのわずか二年後には嫡男の秀忠にその位を譲っています。では家康は最高権力者ではなくなったのか? そんなことはまったくありません。「大御所」と呼ばれ、一六一六(元和二)年に他界するまで、その権力を振るい続けました。そもそも豊臣氏を滅ぼした大坂の陣は、家康が将軍の座を退き“隠居”した後のことです。豊臣秀吉の「太閤」も役職でも何でもありません。摂政・関白を退いた者の呼び名で、言ってみればご隠居です。
これをもっと端的にあらわしているのが、平安後期からの院政でしょう。これも後に詳しく論じますが、なぜ天皇を退いたあとの上皇が実際の権力を握るのか、きちんとした論理的な説明が必要です。
私はこれを「地位より人」だとして、これまで論じてきました。天皇や将軍といった「地位」よりも、家康や秀吉といった「人」のほうに、人々は従っている。
これは当たり前のことではありません。私たちの生きる近代社会では、大統領や首相といった「地位」にこそ、権力の源があります。端的にいって、アメリカで核兵器のボタンを握っているのは現職の大統領だけ。これは一般企業でも同じで、原則として代表取締役である社長という「地位」にある者が、経営の決定権と責任を与えられています。
時代を遡(さかのぼ)っても、目を外に向ければ、中国の皇帝にしても、欧州諸国の国王にしても、多くはその地位を譲るとともに、実権も明け渡しています。
では、なぜ日本では「地位より人」なのか? これが本書のテーマのひとつです。
さらに日本の権力構造をつぶさに見ていくと、地位=公の役職とは別の序列があることに気づきます。それは「家」の序列です。
これには二つの側面があり、ひとつは「階級」としての序列です。大きく俯瞰するならば、「天皇・皇族、貴族、武士、それ以外の庶民」といった階級への意識が、歴史上、みてとることができる。そして貴族ならば貴族、武士なら武士の内部で、さらに序列は細分化しています。この序列の単位となるのが「家」なのです。
そして、もうひとつの序列はそれぞれの家の内部にあります。家康は将軍秀忠の父です。上皇は天皇の父であり、ときには祖父である。そして彼らは将軍や天皇の「地位」を退いても、家長であり続けました。そして、この「家」のトップの座を継ぐことが、権力の継承になる。すなわち「世襲」です。この世襲の原理が、日本史のなかでどのように作用してきたか、そして今の日本社会にもどのような影響を与えているか。これがもうひとつのテーマです。
その一方で、権力のリアルを考えるとき、当然、「力」の存在を検討しなくてはなりません。権力とは「人を従わせる力」です。そこではさまざまなパワー、もっと具体的にいえば、軍事力、経済力、さらには知力などが重要な要素となります。
さきほど挙げた「天皇・皇族、貴族、武士、それ以外の庶民」といった構図を考えたとき、時代が下るとともに、政治権力に参加できる層は次第に拡大していきます。そこで「世襲」と「才能」=能力主義を二つの軸として、日本の権力構造をみることにしました。
本書は、二〇一〇年に刊行された『天皇はなぜ万世一系なのか』の増補版ですが、冒頭と最後に天皇を扱った章を加え、全体的にもかなり手を入れました。
歴史のピースをひとつひとつ吟味し、「日本のかたち」がいかにして築かれていったのか、じっくり考えた本ですが、意外と知られていない「日本史の盲点」もあちこちにちりばめてあります。どうぞ気楽にお楽しみください。
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