本書『犬の証言 ご隠居さん(三)』は、『ご隠居さん』『心の鏡 ご隠居さん(二)』に続く「ご隠居さん」シリーズの第三弾だが、これは異色のシリーズだ。
主人公は鏡磨ぎ師の梟助じいさんだが、とにかく博覧強記なのである。土用の丑の日になぜ鰻を食べるようになったのかと客に尋ねられると、たちどころに教えてくれるし、落語に鰻の話があるのか、と問われるとすぐに話しだす。鰻を食べない人の話まで、梟助じいさんの話は止まらないからすごい。
落語だけでなく、書物からの引用も少なくない。本書に収録の「犬の証言」の場合を見てみよう。ここでは、生まれ変わりの話から、落語の「元犬」の話になり、落語のもとになった話として、菊岡沾凉(せんりょう)『諸国里人談』の話に繋がっていく。そうすると落語では笑い話だったのに、もともとは悲しい話であることがわかってくる。
このシリーズの特徴は、それだけでは終わらないことで、話はここからどんどん広がっていくことだ。たとえば、犬が人に生まれ変わるのなら、人が人に生まれ変わる話はあるのか、と言われ、すぐに鎌倉初期の説話集『古事談』の話になり(出典を話さないのは、読書量を自慢するようでイヤだからだ)、安倍晴明が花山院の前世を占って病気を治した話を披露し、さらには、普通の人が生まれ変わった話はないのかと尋ねられると、勝五郎という少年が再生した記録が、平田篤胤『勝五郎再生記聞』と、塵哉翁(じんさいおう)『巷街贅説(こうがいぜいせつ)』にある「転生奇聞」の話になる。どちらも内容は同じだが、前者は後者の十倍を超える長さだという。こうやって話は奥へ奥へと進んでいく。博覧強記と簡単に言うけれど、その知識量と幅の広さは半端ないのだ。
野口卓は『軍鶏侍』でデビューした作家で、その後は「北町奉行所朽木組」シリーズも始めているが、それらのシリーズと本書のシリーズはこのように大きく異なっている。「軍鶏侍」シリーズも、そして「北町奉行所朽木組」シリーズも傑作シリーズで、それぞれに読みどころがあるが、それらを読んでからこの「ご隠居さん」シリーズを読むと本当に驚く。どうしてこれほど色合いの異なる物語を一人の作家が書くことが出来るのかと。
梟助じいさんがなぜこれほど博覧強記なのかということについては、第一作『ご隠居さん』収録の「庭蟹は、ちと」で明らかになっている。あまりに落語に詳しいので元落語家ではないかとお得意さんに言われたりしていたが、実はこれ、若いときに寄席通いしていた成果だ。しかしその中身がややシリアスである。その前に鏡磨ぎの世界がどういうものであるのか触れておくと、
「能登や氷見(ひみ)には旅稼ぎの鏡磨ぎ師たちがいる。親方と数人の子方で組を作り、夏と冬の農閑期にそれぞれ二ヶ月以上、年四(よ)月半ほど、決まった地域を廻るのである」
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